ヌマンタの書斎

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裁判官の非常識

2009-03-03 12:20:37 | 社会・政治・一般
今から5年ほど前のことだ。忘れもしない平成15年12月初旬。新聞に掲載された平成16年度税制改正の記事に呆然とした。

土地等の譲渡損失の損益通算廃止が小さく記載されていた。日経新聞の紙面の片隅に、小さく小さく書かれていた。この小さな記事は、我々税理士業界を震撼させた。寝耳に水とはこのことだ。

たとえば平成2年のバブル期に銀行の勧めで土地付家屋を買ったとしよう。買値は1億円。全額銀行から借り入れてのものだった。

しかしバブルは弾け、給与は大幅減。そこで泣く泣く家を売却して借金を返し、借家住まいとあいなった。ちなみに売値は半値の5千万円であり、たいへんな大損だ。

この場合、家の売却が平成15年までなら、5千万の売却損と給与所得との通算が認められ、確定申告で給与から天引きされた税金が還付される。

ところが、平成16年に売却した場合には、5千万の売却損の通算は認められず、泣き寝入りするしかない。しかも、その法改正は平成15年の12月に発表しやがった。

気がついた人は、大慌てで平成15年中の売却としたが、知らなかった人は多かった。年が明けても分らずに、土地の売却損は他の所得と通算できるはずと思い込んでいた人は少なくない。ちなみに、改正税法が国会を通過したのは平成16年3月だったと思う。遡って1月からの適用にしているから、性質が悪い。

翌平成16年分の確定申告で、当然に売却損と他の所得の通算により税金が戻ってくると思い込んだ人は激怒した。当然だと思う。でも税務署は法改正をたてに、当然還付を認めなかった。そこで裁判に訴えでた。

事前の十分な周知なしに、法改正することは、憲法で保証された権利を犯すもの(不利益の遡及適用)だと訴えたわけだ。だいたいが、法案が国会を通過する前の日付に遡って適用すること自体おかしい。当然に同様の訴訟が相次いだ。

その判決が、先日東京高裁民事8部原田裁判長より下された。結論は、国側の勝訴。原田裁判長は4っの根拠を挙げて、予測可能であり、国の行いは不当とは言えないとの判断を下した。

この裁判長、大バカである。たしかに法案は平成15年12月に開示された。それに気がついた人は確かに居て、大慌てで15年中に契約を売買契約を締結した。これは極めてレアなケースだ。ほとんどの人は気がつかなかった。

だいたいがこの裁判長の言う四つの根拠の一つにあげた税制改正大綱なんざ、普通の人はまず読まないし、大綱がそのまま改正法案として国会に上がるわけでもない。第一、平成16年度税制改正法案には当初、この土地等の譲渡損失の損益通算廃止は盛り込まれず、いきなり不意打ちで加えられた項目だ。

四つの根拠のなかには、16年1月からの適用ではなく、法案が国会を通過した4月以降にすると申告行政が混乱し、同じ年度内での不平等が生じると述べている。だったら、12月中の駆け込み契約だって不公平だろう。

租税の大原則である平等性、予測可能性等を無視しての抜き打ち改正を、問題無しと思い込める裁判官の非常識ぶりこそが問題だ。いや、分っている。この裁判官は常識ではなく、あくまで法令の構成と前例踏襲主義に縛られて、適正との判断を下しただけだ。

あくまで行政府のやることは正しく、多少の齟齬はあろうと、無理に正せば却って混乱が生じると判断しただけだ。要するに臆病であり、かつ怠惰であるだけだ。まったくもって情けない限りである。

このようなオバカな裁判官がウヨウヨいるのが、現在の裁判所の実態だ。お勉強は出来るが、社会の実相を知らないで裁判官になったがゆえの弊害だ。はっきり言って、以前の司法試験は難しすぎて、社会から離れて勉強に専念しない限り合格は望めなかった。

それゆえに、社会人としての経験が未熟な知識だけの頭でっかちが裁判官になれた。彼らがまともに見えるのは、司法の世界の常識に化粧されているからで、その意味でだけ常識ありげに見えるだけだ。

一般には通用しない司法の世界だけの常識なので、変化する世の中の大勢とは無縁で居られる。嘘だと思うのなら、判決文をこの眼で読んでみることだ。読みにくい文章である以上に、前例踏襲と既成の司法肯定思想に凝り固まった内容であることが分ると思う。

よくよく考えて欲しい。何故、人は裁判に訴えるのか?法律や行政が、世の中の変化に対応できていなからこそ、裁判に訴えざる得ない。とろこが裁判官は、その苦しみを読み取れない。

政府の統治機能が不全だからこそ、民は裁判に訴え出る。もちろん民の側の錯誤や誤解もあるが、そうでない訴えは多い。それに応えられない司法だからこそ、やくざなどの裏社会がはびこる。賄賂を積んで政治家に不正を頼む。

やくざや、贈賄政治業者がなくならない大きな原因が、世の常識と乖離した司法判断にこそある。

事実、近年突如として盛り込まれるおかしな法規制が増えている。民間からの異議を挟ませないタイミングで、いきなり新たな条文が付け加えられるケースが増えている。東京高裁の原田裁判長は、この行政の不意打ちにお墨付きを付けやがった。全くもって大バカである。

木を見て、森を見ずの言葉こそ相応しいと思う。
コメント (2)
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