ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

もっとどうころんでも社会科 清水義範

2009-03-23 12:13:00 | 
丁度今頃の時期だったと思う。

小学校入学を控えた頃だった。毎週一冊ジャポニカの百科事典が家に届けられるようになった。多分、母が頼んだのだと思う。

毎週届くこの百科事典を私は楽しみにしていた。今にして思うと、私の雑学趣味はここから始まっている。この頃は、小説を読むよりも、百科事典や動物図鑑などを読む時間のほうが長かったと思う。ちなみに、当時一番の愛読書は「ウルトラ怪獣図鑑」だった。

小学校の図書の授業でも、呆れる先生を尻目に百科事典を夢中になって読んでいた。この傾向は3年生ぐらいまで続いた。転校先の小学校で担任の先生と揉めて、その先生がバカにする推理小説に出会ったことが転機だった。先生への反発も手伝って推理小説を読むようになり、ようやく百科事典から卒業できた。

以来、ミステリー、歴史、SF、伝奇、ホラーと純文学に反発するかのような偏った読書を続けている。私が純文学を認めるようになったのは、中学2年の時に読んだ庄野潤三からだ。庄野潤三はある意味、私の恩師ともいうべき作家でもある。この方の静寂な文章にどれだけ救われたか。

さりとて、雑学趣味を失くしたわけではない。なるべく広く、浅く、いろんな知識を知りたいとの思いは、私の知的好奇心の基盤として築かれている。私は今でも、知識は人を幸せにすると信じている。信じたいと切望している。

しかし、現実は必ずしも理想を反映しない。知らなかったほうが良かったと後悔することは、決して少なくない。知ってしまったがゆえに抱え込んだ苦悩も少なくない。

活字で書かれた情報を無邪気に信じたゆえに、かえって現実が見えなくなったことも数多ある。書かれたものを信じるのではなく、自らの見識に従って判断することが必要だと分ったのは、20代も半ばを過ぎてからだ。

表題の本は、博識をもってなる清水氏のエッセイだが、時としてイラストに本文が負けていることがある。自らの実地経験のみの偏見と悪意をふりかざす西原のイラスト(または漫画)に負けるあたりに、机上の知識の限界があるのかもしれない。

その意味で、清水&西原のコンビはイイ組み合わせなのだろう。社会科以外にもシリーズはあるので、機会がありましたらお楽しみください。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする