民法により法定相続人の持分が保証されたわけですが、その持分が侵害されたときにとられる手段が「遺留分の減殺請求」といわれるものです。
例えば、相続財産が4千万円。一人親を無くした兄弟は仲良く二等分して遺産分けを終えました。相続税もかからず、後は名義変更だけだと安堵していると、司法書士からこのままでは名義変更はできないと連絡がありました。
なんともう一人、法定相続人がいるとのこと。しかも姉だとか。
兄弟は驚きました。母が死別した後は父子家庭で育てられたはずなので、姉なんているはずない!
調べてみたところ、父親は昔、一度結婚をしていて、その際女の子が生まれていたそうです。その出産の際、母親は死んでしまい、その女の子は母方の親族が引き取り育てていたそうです。その後父親は再婚して二人の兄弟が産まれたのですが、兄弟が幼い時に母は病死。無口な父は、兄弟に姉がいることを話すことなく、この世を去っていったのが実情なようです。
その事実を弁護士から聞かされた兄はしばし考え込み、そういえば幼い時に女の子と一緒に遊園地に行ったことがあるが、あの女の子が姉だったのかと納得したようです。更に調べると、父は長年養育費を送金していた事実が分りました。姉が先方の養子になっていたため、自分は表に出ないようにしていたようです。
その後、その姉のたてた弁護士から遺留分の減殺請求がなされました。正規の婚姻による子供である姉にも、二人の兄弟と同等な相続分があるのです。それを侵害されたがゆえの訴えであり、求められたのは本来の相続分三分の一の半分の六分の一でした。これが遺留分です。
ちなみにこの訴えは自主的に取り下げられました。兄弟は姉と平等に分けることを望み、姉も新たな弟たちと仲良くすることを望み、相続のやり直しをして仲良く三等分したそうです。今でも墓参りを三人でやっていると聞いています。
又聞きの話なので、その後のことは知りませんが、この話を聞いた時、民法による平等な遺産分けも悪くないと思ったものです。
しかし、次の話はその平等な遺産分けの問題点を浮き彫りにした事件でした。
年老いた母親には、四人の子供がいました。上の三人は出来が良く、いい会社に入って結婚もして子供も生まれ順調に出世しています。でも末っ子は母親の世話をしていて仕事にも就けず、結婚もしていません。でも、一生懸命母親の介護をしていました。
やがて母親が亡くなった時、残された遺産は四人平等で分けることになりました。末っ子は憤懣やるかたなく弁護士に相談しました。私は母親の介護に人生を捧げ、就職も結婚もできなかった。このような場合、私は特別な貢献をしたとして「寄与」が認められるはずだ。判決を得られれば遺産の半分は私のものになるのではないか?
すると弁護士は退屈そうな目つきで末っ子をなだめたそうです。おそらく裁判に訴え出ても、あなたの寄与の評価は数パーセントしか認められないでしょう、と。唖然とした末っ子に、弁護士は過去の判決例を取り出して、裁判官が「子供が親の面倒を看るのは当然のことで、そこに特別な寄与は認めることはできない」と言い放っている部分を読み上げました。
あまりのことに末っ子は悔し涙さえ流しましたが、それでも意地で訴えでたそうです。しかし、結局和解を勧告されて、弁護士の予想通り、持分を8%ほど上げてもらうことで妥結しました。わずかな増加分の多くは裁判費用に消えて、残されたのは兄弟たちの冷たい視線だけでした。
民法はたしかに平等を謳っています。しかし、どこか間違っているように思えます。上記の悲劇は、遺言などの方策を練ることで或る程度、末っ子の不満を和らげることが出来たはずです。
次回は、遺言について、その実情を書こうと思います。
例えば、相続財産が4千万円。一人親を無くした兄弟は仲良く二等分して遺産分けを終えました。相続税もかからず、後は名義変更だけだと安堵していると、司法書士からこのままでは名義変更はできないと連絡がありました。
なんともう一人、法定相続人がいるとのこと。しかも姉だとか。
兄弟は驚きました。母が死別した後は父子家庭で育てられたはずなので、姉なんているはずない!
調べてみたところ、父親は昔、一度結婚をしていて、その際女の子が生まれていたそうです。その出産の際、母親は死んでしまい、その女の子は母方の親族が引き取り育てていたそうです。その後父親は再婚して二人の兄弟が産まれたのですが、兄弟が幼い時に母は病死。無口な父は、兄弟に姉がいることを話すことなく、この世を去っていったのが実情なようです。
その事実を弁護士から聞かされた兄はしばし考え込み、そういえば幼い時に女の子と一緒に遊園地に行ったことがあるが、あの女の子が姉だったのかと納得したようです。更に調べると、父は長年養育費を送金していた事実が分りました。姉が先方の養子になっていたため、自分は表に出ないようにしていたようです。
その後、その姉のたてた弁護士から遺留分の減殺請求がなされました。正規の婚姻による子供である姉にも、二人の兄弟と同等な相続分があるのです。それを侵害されたがゆえの訴えであり、求められたのは本来の相続分三分の一の半分の六分の一でした。これが遺留分です。
ちなみにこの訴えは自主的に取り下げられました。兄弟は姉と平等に分けることを望み、姉も新たな弟たちと仲良くすることを望み、相続のやり直しをして仲良く三等分したそうです。今でも墓参りを三人でやっていると聞いています。
又聞きの話なので、その後のことは知りませんが、この話を聞いた時、民法による平等な遺産分けも悪くないと思ったものです。
しかし、次の話はその平等な遺産分けの問題点を浮き彫りにした事件でした。
年老いた母親には、四人の子供がいました。上の三人は出来が良く、いい会社に入って結婚もして子供も生まれ順調に出世しています。でも末っ子は母親の世話をしていて仕事にも就けず、結婚もしていません。でも、一生懸命母親の介護をしていました。
やがて母親が亡くなった時、残された遺産は四人平等で分けることになりました。末っ子は憤懣やるかたなく弁護士に相談しました。私は母親の介護に人生を捧げ、就職も結婚もできなかった。このような場合、私は特別な貢献をしたとして「寄与」が認められるはずだ。判決を得られれば遺産の半分は私のものになるのではないか?
すると弁護士は退屈そうな目つきで末っ子をなだめたそうです。おそらく裁判に訴え出ても、あなたの寄与の評価は数パーセントしか認められないでしょう、と。唖然とした末っ子に、弁護士は過去の判決例を取り出して、裁判官が「子供が親の面倒を看るのは当然のことで、そこに特別な寄与は認めることはできない」と言い放っている部分を読み上げました。
あまりのことに末っ子は悔し涙さえ流しましたが、それでも意地で訴えでたそうです。しかし、結局和解を勧告されて、弁護士の予想通り、持分を8%ほど上げてもらうことで妥結しました。わずかな増加分の多くは裁判費用に消えて、残されたのは兄弟たちの冷たい視線だけでした。
民法はたしかに平等を謳っています。しかし、どこか間違っているように思えます。上記の悲劇は、遺言などの方策を練ることで或る程度、末っ子の不満を和らげることが出来たはずです。
次回は、遺言について、その実情を書こうと思います。