まず最初に書いてしまうと、遺言があっても、その遺言とは異なる遺産分けは可能です。
どういうことかというと、裁判所の検認を受けた正式な遺言であろうと、相続人全員の合意があれば遺言を覆すような遺産分けが出来るということです。これが現行の民法の取り扱いなのです。
では遺言には意味はないのか?
私はそうではないと顧客に説明しています。遺言には正式なものから、無効なものまでいろいろあり、正しい遺言は弁護士や公証人などにチェックしてもらわねばなりません。
でも、遺言なんて何度でも書き直せます。書くこと、それ自体に意味があると思うのです。私はまず、顧客に自由に遺言を書いてもらいます。法形式などは無視して、まずは顧客の想いを文章にしてもらいます。
この自由気ままな遺言を書くという過程が重要です。顧客はいろいろな事を思い出し、子供たちの過去と将来に想いを寄せて遺言を書きます。
ほとんどの方は、この遺言を書いている最中に自身の半生を思い起こすようです。そして、自分の人生の意味や、残される配偶者や子供たちに伝えたい想いを真剣に考えます。
私の経験だと、大半の方はこの作業に長い時間を費やします。すぐに書ける人には遇ったことがありません。その時間のなかで、子供たちに会い、話し、伝えるようです。ここが一番大事なのです。
親が遺言を書き出したことを知った子供たちは、多くの場合虚心ではいられません。この過程でさまざまな軋轢が生まれることがあります。ですが、私の考えでは、死後に子供たちがもめるよりもよっぽどマシです。
私はその自由に書かれた遺言をチェックして、助言したり新たな財産の存在を知り、大急ぎで評価しなおしたりします。それから再び遺言書を書き直してもらいます。これは何度か繰り返されるもので、その間に親の真意が子供たちに伝わります。
このようにして書かれた遺言は、思いのほか素直に子供たちに受け入れられることが多いのです。もちろん、かえって親と子の関係が悪くなったケースもありますが、これは事前に顕在化しただけで、遺言があってもなくても遺産分けの際もめることは間違いのないところです。むしろ事前に争点が分って、対応がしやすいぐらいでした。
現在の日本では、遺言がなくとも遺産分けは法定持分で保証されています。遺産分け自体は、残された遺族のためにあるので、遺言はなくとも構わないのが実情です。
でも、私は敢えて遺言は書き残すべきだと進言します。その遺言が法的な要件が不備なものでも構いません。親の思いが子に伝わることが大事だと思うのです。それは親の人生の最後の想いであり、それは形として残るべきだと思うのです。
如何に親が真摯に遺言を残しても、現在の民法は残された相続人の合意を優先します。ですが、死に行く親の思いが子に伝わるといった意味で、遺言を書くことには相応の価値があると私は考えています。
この過程で親が半生を賭けて築き上げた財産をいかに子供たちに承継するかとか、発生するであろう相続税対策といった具体的な問題が生じることもあります。もちろん、相続争いが予測される場合もあり、親はなかなか素直に死ぬことも出来ません。
次回は実際に相続が生じた場合について書こうと思います。
どういうことかというと、裁判所の検認を受けた正式な遺言であろうと、相続人全員の合意があれば遺言を覆すような遺産分けが出来るということです。これが現行の民法の取り扱いなのです。
では遺言には意味はないのか?
私はそうではないと顧客に説明しています。遺言には正式なものから、無効なものまでいろいろあり、正しい遺言は弁護士や公証人などにチェックしてもらわねばなりません。
でも、遺言なんて何度でも書き直せます。書くこと、それ自体に意味があると思うのです。私はまず、顧客に自由に遺言を書いてもらいます。法形式などは無視して、まずは顧客の想いを文章にしてもらいます。
この自由気ままな遺言を書くという過程が重要です。顧客はいろいろな事を思い出し、子供たちの過去と将来に想いを寄せて遺言を書きます。
ほとんどの方は、この遺言を書いている最中に自身の半生を思い起こすようです。そして、自分の人生の意味や、残される配偶者や子供たちに伝えたい想いを真剣に考えます。
私の経験だと、大半の方はこの作業に長い時間を費やします。すぐに書ける人には遇ったことがありません。その時間のなかで、子供たちに会い、話し、伝えるようです。ここが一番大事なのです。
親が遺言を書き出したことを知った子供たちは、多くの場合虚心ではいられません。この過程でさまざまな軋轢が生まれることがあります。ですが、私の考えでは、死後に子供たちがもめるよりもよっぽどマシです。
私はその自由に書かれた遺言をチェックして、助言したり新たな財産の存在を知り、大急ぎで評価しなおしたりします。それから再び遺言書を書き直してもらいます。これは何度か繰り返されるもので、その間に親の真意が子供たちに伝わります。
このようにして書かれた遺言は、思いのほか素直に子供たちに受け入れられることが多いのです。もちろん、かえって親と子の関係が悪くなったケースもありますが、これは事前に顕在化しただけで、遺言があってもなくても遺産分けの際もめることは間違いのないところです。むしろ事前に争点が分って、対応がしやすいぐらいでした。
現在の日本では、遺言がなくとも遺産分けは法定持分で保証されています。遺産分け自体は、残された遺族のためにあるので、遺言はなくとも構わないのが実情です。
でも、私は敢えて遺言は書き残すべきだと進言します。その遺言が法的な要件が不備なものでも構いません。親の思いが子に伝わることが大事だと思うのです。それは親の人生の最後の想いであり、それは形として残るべきだと思うのです。
如何に親が真摯に遺言を残しても、現在の民法は残された相続人の合意を優先します。ですが、死に行く親の思いが子に伝わるといった意味で、遺言を書くことには相応の価値があると私は考えています。
この過程で親が半生を賭けて築き上げた財産をいかに子供たちに承継するかとか、発生するであろう相続税対策といった具体的な問題が生じることもあります。もちろん、相続争いが予測される場合もあり、親はなかなか素直に死ぬことも出来ません。
次回は実際に相続が生じた場合について書こうと思います。