ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

相続はねぇ その二

2009-11-10 06:31:00 | 経済・金融・税制
前回、書いたように民法が最低限度の相続分を保証しているのは、世界的にみても極めて珍しい制度です。戸籍制度なくしては不可能なことなのです。

これは、日本政府が伝統的に社会を、家族こそが最小の一単位として考えるが故の制度であり、率直にって普遍的なものではありません。それゆえ、西欧型の個人中心の考え方には馴染まないのが実情です。

戦前のような長子相続制度こそなくなりましたが、アメリカの戦後統治の一環として、民法の大幅な刷新がなされ、個人とりわけ配偶者重視の相続に代わってからも、戸籍制度が残っていたがゆえに、様々な混乱を招くことになりました。

大家族から核家族への移行ならば、なんとかなりますが、離婚の増加と一人暮らし世帯の増加といった社会の変化が、家族というものの価値を大きく変質させてしまいました。

その変化による弊害が著しいのが、高齢の親に対する子供たちの虐待でしょう。なにしろ民法が相続分を規定してしまっているのですから、親の介護をしようとしまいと保証されているのです。

もちろん、親が元気ならば家庭裁判所に訴え出ることにより、「欠格」や「廃除」といった法的手段により相続から除外することも出来ます。

ただ、親の子への情は深いもので、第三者的にみると甘すぎると思うほどに子供を信じるものです。虐待が始まる頃には、親も老齢から弱っていて子供に頼らざるえないので、相続からの除外手段をとる気力はなくなっています。

また遺留分の減殺請求(後日説明します)といった手段もあり、結果的に民法が相続を保証しているがゆえに、子供たち(立派な成人年齢ですが)は親を敬うことをしなくなったのは事実です。

この家族の基本を損なう風潮は、人として不自然なものだと思いますが、これを助長したのが戦後の自虐的歴史教育でした。これについて話すと大きく脱線するので今回は割愛します。

現在、老齢者の介護施設にフィリピンやインドネシアからの介護士が活躍していますが、彼女らからすると不思議で仕方ないのが、日本人が親に冷たいことのようです。家族を大事にし、親を敬うことを当然と思う人たち(世界の多くはそうだと思いますがね)からすると、あれだけ親を冷遇しながら相続財産はしっかりと貰い受けることは、ある種醜悪に思えるようです。

私は戸籍制度及び民法だけの問題だとは言いませんが、親を虐待して相続財産だけは、しっかりとせしめるような相続は不自然だと思います。

また、少子高齢化が進む日本では、経済のみならず家庭においても国際化の波がじわじわと進んでいるのが現実です。法務省のデーターでは、昨年成立した婚姻のうち7%が国際結婚であり、また日本人が海外に出国して現地で家庭を築くケースも少なくありません。

こうなってくると、戸籍制度自体が現在の社会に適応しがたい現実が迫ってきています。国の根幹を支える制度だけに、政府は戸籍制度の改正には二の足を踏み勝ちです。それゆえ、現実に相続がうまくいかないケースも出てきています。

一例を上げると、北朝鮮に法定相続人がいる(・・・と思われる)相続では、困った状況が起きています。正式な国交がないため、朝鮮総連が窓口になっているのですが、どうもよろしくない。

ある資産家が亡くなられ、そのお子さんが北朝鮮に居るので、当然に彼の合意とハンコがないと遺産の分割協議が成立しないのです。ところが、家族の方の話では、もう十年以上その子供の声を聞いていない。手紙を送っても返事がない。

ところが、相続がおきて相当な相続財産があると分った途端、朝鮮総連の窓口担当者から早く送金しろとの督促が相次ぐ。子供と思しき国際電話もあったが、どうも声が違う気がする。催促の手紙も字が違う。本当にその子は生きているのか、残された家族の方々は不安を隠せません。

一方、朝鮮総連からは遺産を寄越せと催促が喧しい。不信感にかられた家族は、ついに弁護士に相談して裁判所に訴えて失踪の宣告をとることにした次第。どうも人づてに既に子供は死んでいるとの連絡を受けているらしいのです。

この宣告が出るのに最低1年(特別失踪の場合)、普通失踪なら7年かかります。その間、相続財産の名義は変えられず宙に浮いたまま。

北朝鮮ならではの特殊なケースだと思いますが、今後とも世界各地に日本人が拡がっていること、国際結婚の結果として外国に居る子供の増加などを考えると、現行の民法は時代に合わなくなってきている感が強いのです。

次回は、遺留分の減殺請求と、寄与について説明してみたいです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする