ヌマンタの書斎

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野村監督に思うこと

2009-11-26 12:15:00 | スポーツ
この人が監督だったら、野球はやりたくないな。

そう私に思わせるのが、名監督として名高い前・楽天イーグルス監督の野村氏だ。野球をよく知っていることは、野球は素人レベルの私でも分る。選手としての実績も知っているし、監督としていくつもの球団で実績を挙げていることも分っている。

それでもだ、私はこの人の下で野球をやりたいとは思わない。だって、絶対楽しくないもの。

「ぼやき」の野村で知られている人だ。ぼやくだけなら許せる。問題はそのボヤキが長い上に、人を腐す。なにが嫌だって、ウジウジ、ダラダラと説教を長引かせるのが嫌だ。

自分が叱られているのでもないのに、これほど嫌がるのも何だが、当然に選手はもっと嫌だと思う。そのせいだと思うが、野村監督の教え子と言われる選手たちで、野村氏を慕う選手は少ない。むしろ嫌われるか、敬遠されているのが実情だと思う。

野村ID野球の申し子といわれたヤクルトの古田でさえ、公式の場では野村監督の教えに敬意を示すが、彼が私生活で野村氏を慕っているとの話は聞いたことがない。むしろ距離を置いているように思えてならない。

野村氏のもう一つの欠点は嫉妬心が強いことだ。とりわけ人気選手を腐すのが得意だ。ヤクルトの栗山、一茂、阪神の亀山、楽天なら岩隈だろう。嫌気が差して、選手を辞めた者もいる。野村再生工場が笑わせる。

嫌われたって、正しいことを教えて選手の技量を上げて勝利を目指すことは否定しない。それどころか敬意を払っても良いと思う。憎まれ役だって必要なのは確かだ。

にもかかわらず、私が野村監督を敬遠したくなるのは、この人自身の功名心の高さが不快に感じるからだ。本当の名指揮官は自分ではなく、選手こそを持ち上げる。この人の談話を聞いていると、野球をするのは監督なのかとの疑問が拭いきれない。

野村監督は、自分を王、長島と比して月見草だと卑下するが、そのわりに出たがりの性分は、控えめな月見草からは程遠い。コンプレックスをばねに奮闘してきたのは認めるが、度が過ぎると不快に感じざる得ない。能ある鷹は爪を隠すというが、野村監督は人を腐すボヤキを隠す自制心こそが必要だと思う。
コメント (2)
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