ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

トラウマ

2012-11-16 12:01:00 | 日記
走るのが嫌いだった。

いや、恐れていたというのが本音だったと、今にして思う。それは小学校1年生の健康診断の時からだった。医者から心臓に雑音がするから、一度専門医の受診を勧められた。

その数週間後に予約した大きな病院へ行き、あれこれいろいろと検査を受けた。結果、軽度の房室ブロックだと診断された。心臓という臓器は、ャ塔vのようなもので、大きく四つのブロックに分かれているそうだ。その機能に少し問題があるけど、軽い運動なら支障がないので、普通に体育に参加して構わないとのお墨付きをもらった。ところで、房室ブロックって何?

簡単に説明すると、血液が房室から心室へ送り込まれ、心室から全身へと広がっていくわけだが、この房室から心室への移動に若干の遅れがあるらしい。この説明は、大学の時に、心臓の専門医から受けた説明なのだ。

小学生の頃はそんな小難しいことは分からない。ただ、なぜか勝手に長時間走ると胸が痛くなる病気だと思い込んでいた。だが、冷静に落ち着いて思い出してみると、小学生の頃は長時間走ることは、まずなかったはずだ。

せいぜい、校庭をグルグルと走る程度であり、長距離走の記憶はない。記憶にある最初の長距離走は、中学に入ってからだが、不真面目な私は手を抜きっぱなし。先生の目の届くところでは勤勉に走っていたが、そうでないところではタラタラ歩いていた。

サボれなかった校内マラソン大会は、近くの世田谷公園でやっていたが、ここは木立が多く、けっこうタラタラ歩き先生の目の届くところだけ真面目に走っていた。これでは胸が痛くなる道理がない。

ただ、その頃から長時間走るのは苦手だとの意識だけはあった。ただ、明確な根拠がない。強いて言えば、息がはずむぐらい走っていると、わき腹が痛くなることがあった。これが嫌だったぐらいで、心臓に痛みを感じるようなことはなかったはずだ。

それを意識するようになったのは、高校生の頃のマラソン大会であった。町田のほうにある子供の国という遊園地の外周道路を二周するのだが、これはさぼることが許されず、嫌々参加していた。

私が5キロ以上の距離を休まず走ったのは、この時が最初だった。この時、初めて胸に軽い刺すような痛みを感じた。私はすぐに小学生の頃に云われた心雑音を思い出し、走るペースを緩めた。

この時以来、長距離走の授業は可能な限りさぼるようになった。

ところで、私は走るのこそ嫌いだが、歩くのは大好き。子供の頃なんざ、三軒茶屋をスタートして渋谷まで歩き、そのまま新宿まで行く。金もたいして持っていないので、遊ぶこともなく、そのまま下北沢まで歩き、茶沢通りを下って三軒茶屋まで戻る。ほぼ一日がかりの散歩であり、歩行距離は17~18キロぐらいあったはずだ。

たいがい、友達と喋りながらの散歩であり、何を話したのかはまるで覚えていない。多分、どうでもいいようなクダラナイ話ばかりだったと思うが、金はなくても時間は潰せる子供ながらの散歩であった。

余談だが、この長距離散歩の癖は、女の子とのデートでもやらかしてしまい、大いに不評を買った。知らなかったとはいえ、若気の至りであり、馬鹿だったと思う。

一年の浪人生活ののち、大学に入りさっそくにワンダーフォーゲル部に入り、山三昧の学生生活であった。ところが、我が部は過去に死亡事故を起こしている関係で、健康診断が厳しかった。私はまたしても心雑音でひっかかり、心臓の専門医を受診する羽目に陥った。そこで云われたのが房室ブロックであった。

困ったことにWV部のトレーニングは走ることが中心であった。そして私は走ることが大嫌いであった。さぼりたいのは山々であったが、一年生連帯責任であったので、さぼれず嫌々走っていた。

そして、可能な限り手を抜くようにしていた。だって嫌いなんだもの。おかげで先輩たちから大いに目をつけられたと思う。今でも飲むとからかわれるぐらいだしね。自信をもって断言するが、あたしゃ走りのトレーニングで全力出したことはない。でも、筋トレは好きでしたけどね。

そんなわたしでも、本番の山では別。走ること(林道を走らされた・・・信じられん!)以外、山では手抜きなんてありえなかった。それほど山をなめてはいなかったからだ。

やがて社会人になり、すぐに難病で体を壊し、登山どころか普通の運動でさえ出来ない身体と成り果てた。もう、走らなくていいじゃないか。そうなんだけど、全然嬉しくない。

むしろ走りたくって仕方がなかった。しかし、身体が回復したと思い、走り出したら再発する始末。身体を動かしてストレスを解消するタイプであるため、私は必然的に太った。恵まれた食生活のおかげでもある。グルメだった故・佐藤先生の影響が大きかったのは確かだ。

ところが、太り過ぎて他の内臓に支障が出てきた。やむなく、恐る恐る軽い運動を始めている。15分ほどゆっくり走り、柔軟とストレッチに重点を置いた、本当に軽い運動だ。おかげで2か月で1キロペースで痩せてきた。この調子で頑張ろう。

先月末に50歳となり、今さらながら私の心臓について考えてみると、本当に胸が痛むほどの事態は、ほとんどなかった。厳しかった大学のトレーニング時に数回あっただけだった。

では、長年私が長距離走が苦手だと思い込んでいたものの正体は何だ?

トラウマ、そうとしか言いようがない。幼い心に、長い時間走ると心臓が痛くなると刻み込んでしまったのだろう。ずいぶんと余計な心配をしたものだと思う。多分、幼心に心臓の欠陥は、大きなコンプレックスとなっていたのだろう。

ところが根が怠け者の私は、そのことを前向きに処理せずに、長距離を走るのは苦手だと歪んで理解してしまったのだろう。おかげで、本当に苦手になってしまった。もし前向きにとらえて、ランニングに積極的に取り組んでいたら、違う人生を送っていたかもしれない。

まあ、性分が根っこの部分でナマケ気質なので、可能性としては低いと分かってはいる。それにしても、子供の頃の思い込みって浮「。正しく理解しておけば、トラウマにはならなかったかもしれない。

人生、後悔するのはあまり好きではないが、この長距離走嫌いはちょっぴり後悔しています。だって、自分のペースで走るのって、けっこう楽しいだもの。
コメント (2)
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