ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

貯水池の思い出

2012-11-30 11:39:00 | 日記

おい、どこ見てやがる!

怒鳴ったのに反応がない。困ったぞ。

なにが困ったって、動くに動けない。なにせ貯水池の上に張り出しているブナの木の枝の上なのだ。

近所の公園にはバラ線の柵に覆われた長方形の貯水池があった。たしか防火用水だったと思うが、いつも濃い緑色で、少し腐敗臭がある気味の悪い池だった。いや、池というよりプールに近い。

コンクリの箱状の貯水プールといった表現が一番的確だと思う。貯水池なら魚や昆虫が採れるはずなのだが、ここの水は腐っていたようで、生物が繁殖している感じがしなかった。

だから、子供たちもあまり近づこうとはしなかった。

でも、子供たちが近づかない理由は他にもあったと思う。この貯水池は過去何度か実際に子供が溺死しているようなのだ。だからバラ線は定期的に張り替えれていたし、近づきたくても近づけなかった。

でも、子供って奴は抜け道を見つけ出すのはお手のもの。その気になれば、バラ線を木の板で押しのけて、中に入り込むことは出来た。私も何度か入り込んだことがある。それほど難しくはない。

ただ、臭いし、虫取りにも不向きだし、積極的に入り込む気はなかった。入る時は、もっぱらボールやらブーメランやらを取り戻しに行く時だけだ。

実はもう一つ、理由があった。誰から聞かされたのか忘れたが、この貯水池で溺死した子供は皆、水面に映った自分に誘われて溺れたという。その話を聞かされた時は、大人が子供を遠ざけるための作り話だと思っていた。

危ない場所に子供を近づけないための大人の作り話は聞き飽きていた。だいたい、そんな話のある場所は、大人が子供に来てほしくないだけで、実際に行ってみたった、なにもないのが普通だと子供たちはみんな知っていた。

とはいえ、この貯水池はそんなひねくれた私でも近づきたくない場所だったのも確かだ。バラ線は、服をひっかけると破けるから困るし、安いボールのために服を破いて怒られるのは割に合わない。だから私は滅多に近づこうとはしなかった。

困るのは、野球のボールが貯水池に飛び込んでしまった場合だ。試合でも使える軟式用ボールは貴重品であり、そう簡単に諦める訳にはいかない。だから、その時も外野の柵(というか繁み)を超えたボールを探していた最中だった。

繁みに見つからないので、こりゃ貯水池に飛び込んだなと察して、仲間を呼んでバラ線を持ち上げてもらい、なかに入り込んだ。そこで見つけたのは、丁度真ん中あたりに浮かんでいるボールだった。岸からでは届かない場所だぞ。こりゃ困った。

だが、回収する方法がないわけではない。この貯水池の傍にはブナの木が立っており、枝が大きく張り出している。この枝の上へ登って、下に棒を差し出せば水面に届く。そうしてボールを岸へ寄せれば回収できるのだ。

仲間内では木登り名人として知られた私が行く羽目になったのは仕方ないが、いざ行ってみると枝の先端ちかくまで行かないと届かないと分かった。そこでもう一人に枝の根元で私の足をつかんでもらい、身体を伸ばす形でエイヤっと手を伸ばして棒でボールを押し出した。

ボールはゆらゆらと岸辺に向かい、待ち構えていた仲間が救い上げた。藻が絡んで汚く、そして臭いので大急ぎで水場へ走っていく。それを上から見ながら、私は体を引っ張ってもらって降りようとした。

ところが、枝の根元で私の足首をつかんでいるTの奴が動かない。彼に足を引っ張ってもらわないと、私は動くに動けない。無理矢理首をひねってTを見ると、なんと目をつぶって何やらブツブツ言っている。お経か?

おい、T! 目を覚まして足を引っ張ってくれよ! 反応がない・・・

ちょっと怖かったが、足首を少しバタつかせてTに気付かせる作戦に出た。張り出した枝の先端であったので、墜ちそうで怖かったが仕方がなかった。

すると、いきなり足を強引に引っ張られて、枝の根元の太い部分まで戻された。ようやくTが気が付いたのかと安堵したが、良く見るとTの顔面は蒼白だった。Tは何も言わずに、一人滑るように木を降りてしまった。

なんだ、あいつと思いながらも、私も木を降りてTを探すと、驚いたことにTは地面に正座して貯水池に向かってお祈りするようなポーズをとっていた。なんか近づきがたいものを感じて、しばし彼を見守るしかなかった。

数分して立ち上がったTは、一言「水面に爺ちゃんの顔が見えた・・・」

へ?たしか先月葬儀があったあの御爺ちゃんかい、と問うとTは肯いたまま黙ってしまった。ふざけているようにも見えなかったし、第一Tはその手の話が苦手な怖がりだ。

よく分からないが、私はTの肩を抱いて、ゆっくりと広場の方に歩き出した。怒鳴って悪かったな、皆には黙っていようぜと話すと、Tは力なく肯いた。

私は何も見なかったし、何も感じなかった。ただ、Tが大好きだったお爺ちゃんの死後、落ち込んでいたのは知っていたので、皆に話して騒ぎになるのは避けるべきだと思ったからだ。

子供だって、世の中すべて明快に分かることばかりでないことは知っている。こんな時は、お化けだと騒ぐよりも、Tを落ち着かせるほうが大事だと分かっていた。あいつ、怖がりだったしね。

ただ、その事件以来、貯水池には殊更近づかなくなった。幸いにして、翌年には工事があって、貯水池は取り壊されて地下に埋設されて、赤い警報機が設置されていた。公園には人口の盛り土がされて、小高い丘が作られて、野球はやりづらくなった。

仕方ないので、少し離れた世田谷公園で野球の練習をすることになった。でも、ここは場所取りの競争が激しいので、できないことも多かった。この頃からだろう、私が野球から離れたのは。

木登り好きの私は、木に登るのが相変わらず好きだったが、あの一件以来Tが一緒に登ることはなくなった。ちょっと寂しかったが、責める気にもなれなかった。

私には見えなかったが、Tの心の目には確かに見えたのだろう。

其の後、中学に進学してから知ったのだが、あの貯水池は戦前からあり、空襲の最中にあの池に飛び込んで死んだ人もいたらしい。もっともその当時は柵なんてなく、もっと大きかったらしい。その話を聞いた時、私とTは思わず目を合わせて、肯きあったものです。

今はもう、そこに貯水池があったことさえ忘れ去られていると思います。先日、たまたま近くを車で通り、赤い警報機を見かけてようやく思い出した次第。古い池には、人の心を惑わすなにかがいるのかもしれませんね。

コメント (4)
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