予感も予兆もなく、虫の知らせもなかった。もう少し寝入るのが早ければ、枕元に立つこともあったかもしれないが、あいにく未だ起きていた。
夜更けの電話の相手は妹で、口調からすぐに内容が分かってしまった。
とりあえず車で赴くことにする。深夜の中央高速をいつもより慎重に走らせる。車影の少ない奥多摩街道を抜けて秋川街道に入る。峠の手前で山道に入り、谷沿いに一本道を慎重に下ると病院に着く。
霊安室に安置された母の表情は、意外なほど穏やかで、それだけが救いだった。月曜の夜11時36分、誰にも気づかれることなく静かに息を引き取ったようだ。心不全とのことであったが、衰弱死だと私は思いこんでいる。
私は不肖の長男であった。満足に親孝行が出来なかったことを謝るしかなかった。生きているうちに伝えたかった言葉。
「産んでくれてありがとう、育ててくれてありがとう」
病室で寝たきりの母の前で、どうしても口に出来なかった言葉を、深夜の霊安室で絞り出すように伝えるのが精いっぱい。
母の遺体を目にしたら号泣するのかと思っていたが、この不器用な息子はそれすら出来ず、途切れ途切れに嗚咽するのが精一杯だから情けない。
それでも少し気持ちが落ち着いた。
そんな矢先に上の妹夫婦と甥っ子が到着。その場で、母がお通夜も告別式も望まず、ただ献体の後の埋葬だけを希望していたと知る。
母が難病で苦しむ私が世話になった大学病院に献体する意向を持っていたことは知っていたが、葬儀を望まないことは知らなかった。
が、十分ありうることだと思う。母の希望なら、世間の常識に背いても叶えてあげたい。
だから、とりあえず雑事は下の妹に任せ、私は今やるべきことに傾倒しよう。
でも、夜明けまであと数時間、それまでは母の思い出に浸ろうと思う。
ありがとう、お母さん。口に出来なくてごめんね。