ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

TOKYOジャンキー ロバート・ホワイティング

2013-04-15 09:39:00 | 

日差しが強ければ強いほど、日陰は濃くなる。

不思議なもので、眩しいほどに強い日差しの下に立っている時は、日陰をありがたいものだと思う。でも、日陰から出れない立場になると、日陰は重く苦しいばかりで、明るい日向を羨望の眼差しで睨みつけるのが精一杯だった。

この本が書かれたのは、丁度バブル景気の最盛期から崩壊に向けての時期だ。私にとっては、長く続いた難病の自宅療養期にあたる。家にこもりがちの生活であったが、週に1日か2日ぐらいは外出するように努めていた。

病人みたいな白っぽい肌が嫌で、少しも日焼けした自分で居たかったからだ。病人である癖に、周囲から病人だとみられることが嫌だったからでもある。

だから天気のイイ日は、なるべく散歩をするように努めていた。日差しを浴びるのは気持ちいいはずだ。でも、あの頃は、いささか苦痛であった。外に出れば、自分よりはるかに日焼けした同世代の若者たちの姿が、否が応でも目に入る。

羨望と嫉妬、そして言い知れぬ絶望感がお腹の中に冷たい塊となって澱むのを実感していた。それでも歩かねばならぬ、歩いて体力をつけねば社会復帰は遠のくばかりだと分かっていた。

だから、若い人たちが多く出歩くような場所は避けて散歩するようになっていた。そうなると、必然的に高齢者が多い場所か、家族連れが多い場所となる。お年寄りがベンチで休み、芝生にシートを広げた家族連れが寛ぐような場所、すなわち公園を散歩することが増えた。

そんな和やかな光景のなかに外国人の姿をしばしば散見することに気が付いた。思わず条件反射的に緊張するのは、幼少時の経験からだ。私が幼少時を過ごした町は米軍基地の隣町であり、外国人の姿は珍しいものではなかった。

ただ、あの頃はヴェトナム戦争の真っ盛りであり、安全な日本に休暇で訪れるアメリカ兵が少なくなかった。彼らは危険な存在であることは、私らガキンチョどもには常識であった。

機嫌がいい時は、チョコレートやガムをくれることもあったが、酔っぱらって機嫌が悪い時はビール瓶を投げつけてきたりすることもあり、子供にさえ危ない存在であった。それは大人ばかりでなく、日本の米軍基地に駐在しているアメリカ兵の家族、そのなかの同世代の子供たちも同様であった。

当時、私の住んでいた家は米軍の払い下げ住宅であり、近所にはアメリカ兵の住む家が数軒残っていた。大人は問題ないが、困るのは子供どもであった。道で通るすがるだけでも、緊張感が走ったものだ。

あの頃、アメリカ人は潜在的に日本を見下していたのだろうが、それはアメリカ人の子供たちにも伝播しており、奴らは平然と日本の子供を侮辱し、面白半分に喧嘩を売ってきた。

不愉快だったのは、奴らは自分たちが勝つものと決め込んでいた節があることで、無邪気に傲慢であることが如何に不愉快なものであることかの自覚などまるでなかった。

でも私らは気が付いていた。奴らアメ公のガキどもは、自分たちより小さい、すなわち勝てそうな相手にだけ偉ぶることを。必然的に少し小柄な私なんぞは、よく奴らに目を付けられた。しかも、斜め向かいに住んでいた奴らなので、けっこう頻繁に出くわしていた。

不思議と、あるいは当然かもしれないが妹たちには手を出してこなかったのは、奴らなりの矜持だったのかもしれない。まァ、思春期を迎えたらどうだったかは分からないが、お互い幼稚園から小学校低学年程度なので、喧嘩といっても取っ組み合うだけだ。

幸い、私が小学校に入学することには、親の異動に伴って白人のガキどもも姿を消していたので、近所は平穏となった。でも、隣の立川へ行くときは、やっぱりくそ生意気なアメ公のガキどもには注意が必要だった。

あれから20年近くたっていても、私は白人の姿を見ると、条件反射で緊張し、警戒する。まして病み衰えた今の自分では喧嘩に勝ち目はない。走って逃げるのさえ難しいだろう。

ところがだ、私の緊張がまるで無関係に、長閑で和やかな風景の中に外国人の姿は溶け込んでいた。よくよく見ると、隣の日本人家族とも和やかに談笑している。あれ、ビールを飲み交わしているぞ。食べているのは焼鳥ではないか。ありゃりゃ、お寿司まであるぞ。あいつら生魚食えるのか?

驚いたことに、白人の夫婦はカラフルなタッパーに刺身まで詰めて、わさび醤油で器用に箸を使って食べていた。私は白人が生魚を食べるのをはじめて見た。もっと驚いたのは、隣の日本人家族と日本語で会話をしていたことだ。

あのアメ公、日本語が喋れるのか!

私がそれまで白人の口(子供限定だが)から聞いた日本語といえば「バカ、シネ、クソヤロウ・・・」といった罵詈雑言ばかりであったので、本当に驚いた。時代は変わったのだなァと痛感したものだ。

かつて占領軍として日本を闊歩した米兵たちの姿は減り、替わって日本の社会に染まり、馴染み、共棲しているアメリカ人が飛躍的に増えていた。そんな一人が表題の本の著者であるホワイティング氏なのだろう。

彼のように、日本社会で働き、生活し、馴染んでしまった外国人は本当に増えた。現在は欧米系だけでなく、アジア系、アフリカ系も入り混じり、同一民族の均質社会であった日本に、不思議なアクセントを加える存在となっているのだ。

私は公園でシートを広げて寛ぐ白人家族を見ながら、自分が社会の流れの外に残置されていることを痛感せざるを得なかった。早く社会復帰したい、病気を治して働きたい。悲しいほどに、切ないほどに願いは募る。

ベンチから立ち上がり、再び散歩を続ける。少しでも体力をつけ、いつか来るはずの社会復帰の日を信じて。

コメント (2)
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