綺麗にやり過ぎる。
日本のサッカーは上手くなった。それは確かなことなのだけれど、華麗に過ぎて、力強さに欠ける。なにより勝利への泥臭い執念にかける。
だから負けている試合であっても、平然とバックパスを繰り返す。相手の隙を伺い、好機を待っているのだろう。それは分かる、そのような選択肢があってもいい。
だが、あくまでバックパスは選択肢の一つに過ぎない。敢えて言ってしまうと、これは現在の日本代表チームの中心選手である遠藤の悪癖だといっていい。綺麗なプレーをしたがり過ぎる。
今の日本代表に必要なのは、勝利に賭ける泥臭いプレーだ。
遠藤の絶妙なパス、スペースに走りこむ清武のスピーディなドリブル、そして香川の華麗な切り込みとシュート。確かに美しいのは認める。
でも、それだけでは世界相手には通用しない。先週のブルガリア戦がその典型であった。
それに苛立ったのは世界を知る長友であった。試合の終盤、相手DFの激しい寄せをものともせずにペナルティラインの内側に切り込みシュートを狙った。
結果的にはオフサイドであり、得点には至らなかったが、私の目にはその日一番の好機であった。長友自身は故障明けであり、その日も得意とする前線への駆けあがりと、守備への戻りは音を潜めるバット・コンディションであった。決して調子は良くは無かった。
だが綺麗なプレーばかりでは世界に通用しないことを肌で知っている一人であるだけに、苛立ちも相当であったのだろう。
現在の日本代表選手では、この手の泥臭いプレーを出来るのはFWの岡崎と本田ぐらいだ。他の選手は綺麗にプレーしたがり過ぎる。ゴン中山を師匠と仰ぐ岡崎はともかく、実は本田も体当たりに怖気づかない強靭なプレーを信条としている。
だが、本田がいないとこのチームはどうしても綺麗なパス主体のチームに成り下がる。だから負けている状態でも平然とバックパスを繰り返す。
パスを出すコースがないのなら、自ら走ってコースを作れ。きっとオシムは遠藤のプレーに怒っていると思うぞ。
そして今夜はホームでのオーストラリア戦だ。勝てば当然、引き分けでもワールドカップ出場決定である。だがホームでの引き分けは負けに等しい。もし引き分けでワールドカップ出場ならば、是非ともブーイングを浴びせて欲しい。
応援する側もそれくらい厳しくなければ、強い日本代表とはならない。それが世界で戦うということだ。