本音を吐くと、運転するのは浮「だろうと思っている。
でも男だったら、一度はスーパーカーのハンドルを握って運転してみたいと夢見るもんだ。真っ赤なフェラーリでもいいし、黒光りするポルシェもいい。挑発的な黄色のランボルギーニだっていいし、メタリックシルバーに輝くコルベットも素敵だ。
ただ、私は未だ一台もスーパーカーには乗ったことがない。いや、正確に言えば大学時代にホテルの駐車場でバイトしていた時、格納式の車台に入らないポルシェを奥のカースペースに移動させたことがあるだけだ。
ボシュッという重厚なドアの開閉音に緊張しながら、重いクラッチをゆっくりつなげて慎重にバックさせる。水平6気筒エンジンの独特の排気音など耳に入らず、ひたすらぶつけないように気を配りながら、壁際に駐車させた。
わずか3分程度の運転、これが私が唯一、スーパーカーに触れていた時間である。いや、とても運転したとは言えまい。だが、その僅か3分足らずでも、私はその日一日興奮したものだ。ちなみにベンツ、ジャガーも移動させたが、あれはスーパーカーではない。やっぱりポルシェは違うぞ。
なにせ、憧れのポルシェ。私の脳裏には早瀬左近の姿が浮かんでいた。そう、表題の作品の主人公のライバルである、あの早瀬である。
この漫画が流行ったのは昭和50年代、私が小学生の頃であった。世にいうスーパーカー・ブームの火付け役である。私も毎週楽しみに週刊少年ジャンプを読んでいたが、当時から絵の下手な漫画だとも思っていた。
車のデッサンはともかく、人物のデッサンはあきらかに狂っている。時として遠近感すらおかしく、けっこう気になっていた。ただし、女体のラインを描くのだけは上手かったように思う。顔がワンパターンなのはともかく、自分が好きなものを描くのは上手かった。逆にそうでないものは、明らかに手抜きしていたように思う。
だがなによりも、スーパーカーの姿だけは上手く描いていた。あの多角形コーナリングはともかくも、コーナーをタイヤを軋らせて走る車の場面には、本当に興奮させられた。
余談だが、スーパーカー・ブームに終止符を打ったのは、オイル・ショックと排ガス規制であった。これでガソリンをカブのみ(燃費ド最悪)し、排気ガスを大量に吐き散らすスーパーカーは走れなくなった。
おまけに、この作品の大ヒットでしこたま儲けたせいか、作者の池沢さとしはヒット作を出せなくなり、いつのまにやらジャンプ消えてしまった。その後、数年を経て今度は大人向けである週刊プレイボーイに軟派な漫画を描きだした。
大人向けということで、女体を思う存分描いていたが、やっぱりスーパーカーを描かずにはいられなかった。そして、やっぱり女と車だけは上手かった。好きなんだろうな、どちらも・・・。まァ、男なんてそんなもんなんだろう。
ある意味、分かりやすい漫画であった。そう、デッサンは狂うことがしばしばあったが、車のレース場面などは、運転をしたことがない人にも分かり易く描いていた。あの多角形コーナリングとか、ちょっと現実離れしていると言いたくもなるが、子供でも分かり易い描写は作者の苦心の成果なのだと今にして分かる。
多分、この漫画を読んで、いつかは俺もスーパーカーを運転するぞと心に決めた子供って間違いなくいると思いますよ。もっとも私自身は、自分の運転の技量の低さを自覚しているので、「猫に小判」「豚に真珠」でスーパーカーを楽しむのは無理だろうと割り切る、醒めた大人になっちゃいましたけどね。