ヌマンタの書斎

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生きる 根本敬

2013-06-10 13:12:00 | 

特殊漫画家を自称するのが根本敬だ。

なにが特殊かといえば、その画風があまりに個性的に過ぎるのだ。決して読者受けを狙った絵柄ではない。その絵を観た人の多くが嫌悪感を抱くことを承知の上で描かれた漫画なのだ。

悪趣味系サブカルチャーとでも言ったら良いのだろうか。間違ってもメジャーなメディアに登場させていい画風ではない。あの「ガロ」でさえ浮いていたかのような、あまりに特殊な画風であった。

なかでも善良で大人しい丸メガネの中年男性である村田藤吉に対する苛めのひどさは、不快を通り越して嫌悪すら抱くほどだ。ただ平凡に幸せに生きたいだけの村田を悪意の塊である吉田佐吉がいたぶる。

そのあまりの不幸ぶりは遺伝子レベルで運命づけられたと評されるほどだが、あまりに過酷なため目にした読者の大半が厭うと思う。にもかかわらず、根本敬は執拗に村田の不幸を描き続ける。

私は決して好きではないが、他に例をみない特殊さ故に忘れがたい印象を残している。

何故なら根本は良識ある大人が認めようとしない残酷な現実を描いているからだ。人は平等であるとの思い込みを忘れて、虚心に世の中を観察すれば、いたるところに不幸が転がっている。

残酷なのは、その不幸が人は決して平等ではないという事実に根差しているからだ。

嘘ではない。ぬかるんだ路に足を取られて転倒した若い女性が居たとしよう。そこに手を差し伸べてきた人が、如何にも立派なスーツを着て柔らかい笑みを浮かべていたのなら女性は喜んでその手を取るであろう。

でも手を差し伸べてきたのが、髪はぼさぼさで見栄えは悪く、何日も着古したようなボロをまとった人であったら、その手をとることはないだろう。

たとえ前者が詐欺師であり、後者が善良な人であったとしても、その外見から平等には見てもらえない。それが現実というものだ。そして不幸は連鎖する。世の中は平等でもなければ公平でもない。

それを極端なまでに強調しているのが根本敬の漫画である。それ故に自らを特殊漫画家だと称するほどの確信犯、それが根本敬だ。

率直に言って万人にはお薦めしかねる。多分、多くの人は読めば不愉快になる。私とて積極的には読みたくない。でも忘れることも出来ない。忘れるには、あまりに特殊すぎるのだ。

コメント
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