挨拶は大事だと思う。
私は霊感に乏しい。だからといってお化けや霊魂を否定している訳ではない。妙な言い方になるが、私が幽霊などと遭遇したことがないのは、それなりに礼儀をもって筋を通しているからではないかと思っている。
子供の頃から、ひねていたので「ここに入ってはダメ」とか「ここで子供が遊んではイケマセン」なんて言われようものなら、知恵を絞ってなんとか入り込んでやろう、遊んでやろうと努力する困った性分であった。
だから当然のように墓地だの、お寺などに入り込む。別にお墓に興味はなく、お寺にも興味はなかった。私が興味があったのは、もっぱら虫たちである。墓地には緑が多く、バッタや蜘蛛、コオロギなどの宝庫であった。お寺には必ず木々が植えられていて、蝉やカナブン、場合によってはカブトムシも取れた。
だからこそ、如何に大人が止めようと入り込むのを止めるはずがなかった。
そんな私の性分を分かっていたお祖母ちゃんは、私を止めたりしなかった。ただし、礼儀を尽くせと穏やかに、断固として私に話してくれた。お墓は死んだ人が眠る場所なのだから、騒いではいけない。お墓のものは死んだ人のためだから、壊したり勝手に動かしたりしてはいけないことだと話してくれた。
その際、お化けとか幽霊とかの話は一切出なかった。ただ、物事の道理としてお墓はどういうところなのかを話してくれただけだ。だからこそ、私はおばあちゃんの話に頷いた。子供の私でもよく分かる道理であった。
私は相変わらず、お墓に入り込んで虫取りをしていたし、お寺や神社に勝手に入り込むことも止めなかった。でも、お墓を荒らすようなことは一切しなかったし、一応両手を合わせて一礼する程度の挨拶はしていた。小銭があればお賽銭箱に奉じて、ちょっと遊ばせてねと挨拶ぐらいはしていた。
まァ、時折神主さんに怒られたり、坊さんに追いかけられもしたが、お墓に礼を失したことはないと思う。お墓で遊ばせてもらう以上、それが仁義だと思っていたからだ。
だからこそ、その仁義を通さない輩には好意的ではいられない。
あれはもう虫取りはしなくなっていた頃、丁度中学生の時分であった。さすがにお墓に入り込むことはしなくなっていたが、お寺や神社の境内にはよくたむろしていた。別に目的があった訳ではなく、単に悪ガキ仲間たちとだべるのに都合が良かったからだ。
その神社の神主さんは、わりとさばけた人で神輿担ぎの時などは世話になったりもしていた。当然、顔見知りであり、私たちが境内で夜更けにだべっていても見逃してくれるありがたい大人だった。
その神主さんが険しい顔で私たちの元に来て、ちょっと来てくれと言う。なんだろうと思って、付いていくと神社の裏側の倉庫が開いていて、段ボールがひかれていた。「これ、やったのはお前たちか?」と訊くので、とんでもないと抗議する。
段ボールの脇には捨てられたオロナミンCの空き瓶がある。どうやら、ここでシンナー遊びをしていた奴がいたようだ。よくよく見ると、使用後の避妊具まで捨てられている始末だ。こりゃ、神主さん怒るわな。
神主さんが苦りきった顔で「まァ、お前らでないとは思っていたが、最近の若いのは始末が悪いぞ」と嘆く。
ここは俺らの遊び場だと思っていた私らは、この現場をみて腹が立ってきた。神主さんが立ち去った後で、みんなで相談して犯人を懲らしめようと決めた。
実は数人、思い当たる節がある奴らがいた。そもそもシンナー遊びをする若いのはそう多くないし、そのなかで女連れは更に少ない。要するにラブホに行く金もないが、シンナー程度なら買える実家住まいのチンピラだろう。
ただ中坊の私らより年長なのは間違いないので、うかつに手を出すと後が面倒臭い。で、策を練ることにした。おそらく、やってくるのは週末、多分土曜日の深夜だろう。丸見えの表から入ってくるとは思えない。むしろバイクを置ける駐車場がある裏手から入り込むはずだ。
その神社は、ちょっとした高台にあり、裏手は緩やかな斜面になっている。その斜面には塀替わりに雑木が植えられているが、上手く巻くように登れる裏道がある。この近辺で育ったガキならば、みんな知っていることだ。
その裏道に罠を張った。この道は照明がないので、夜間使う人はまずいない。踏み跡ていどの路なので歩きにくく、神主さんだって夜は使わない。私らだって、早朝夜も明けきらぬうちに虫取りをする際にしか使わないのだ。
私らは週末の夕方、神社に集まり裏手にまわって、裏道に罠をはった。草と草を結んで足をひっかけるだけの単純な仕鰍ッだ。ただし、転んだ先に手を付くと思われる部分に犬の糞をばら撒いておいた。
ひっかかれば、デートは台無しのはずだ。上手くいけばシンナーだってこぼしているかもしれない。一応、念のために5か所ほど仕掛け、翌朝には他の人がひっかからないように罠をはずす手はずまで整えた。
ほくそ笑みながら散会して帰宅した。早起きに備えて、早めに床に就いた。その翌朝のことだが、薄暗い明け方に仲間と落ち合いながら神社の裏手に回ると、なにやら騒々しい。なによりパトカーの赤いサイレン灯が賑やかだ。
胸騒ぎを覚えたが、内心の不安を隠しつつ、野次馬を装って何があったのかを手分けして聞き出す。どうやら乱闘があったことは分かったが、具体的なことは分からない。警官がうろちょろしているので、境内には入れず仕方なくいったん退散する。
夕方にもう一度来ると、既にいつもの静けさを取り戻していた。裏手にまわり罠を確認すると、驚いたことに罠にかかった痕跡はない。では今朝の騒ぎはいったいなんだったのか。とりあえず罠をはずして、犬の糞は草むらにまき散らしておく。
事情が分からず、もやもやした気持ちを抱えて帰宅した。ちなみにシンナー遊びの痕跡もないから、昨夜は境内には入ってこなかったようだ。
明けて月曜日の放課後、ようやく事情が判明した。土曜日の深夜、確かにシンナーを持ち寄って集まったチンピラどもは神社裏の駐車場に来たようだ。ただ、一人がシンナーをやる前から錯乱して、それを止めようとした仲間ともみあいになり、それを喧嘩と勘違いした近所の通報があっての警察出動となったようだ。
オカシイのは、その錯乱した奴で、酒もシンナーもやっていなかったらしい。ただ、妙な奇声を張り上げ、境内に入るなと大声を出していたそうだ。そういえばあの神社はお稲荷さんだ。で、脳裏に浮かんだ言葉は「狐憑き」。
思わず口に出したら、「お前、馬鹿か」と嘲られたが、笑いは途切れて「まさか、ね」と皆で顔色を窺う始末。お化けが苦手なTが「今日、お参りいかないか」と言うと、皆神妙な顔つきで頷く。
その日の夕方、神社に行くと神主さんが神妙な顔つきで社で掃除をしていた。何気ない顔をして挨拶し、先週末は騒がしかったですねと話しかける。すると神主さんは、ちょっと困ったような顔をして一言「狐が出おったわ」
思わず息をのんだ。「お前らも、よく境内で遊んでいるから、お狐様に挨拶だけはしっかりしとけよ」と言われると、一目散に境内の社にお参りしたのは言うまでもない。怖がりのTの奴が財布を忘れたので、小銭貸してくれと涙目で訴えてきたので、仕方なく5円玉を渡した。
ちなみに私がお賽銭箱に投じたのも5円だ。なんで5円かといえば、お狐様への縁つなぎの駄賃なので5円(ゴエン)だった。誰に云われたのかは忘れたが、あの時は真剣にお祈りしたことだけは良く覚えている。もっとも縁つなぎだか、縁切りだかは忘れた。
なんだかいい加減なお参りだと思うが、やっぱりお墓とか境内で悪さをしてはイケないと悪ガキどもが心に刻み込んだのは確かだ。その後のことだが、警察はこの事件を青少年に薬物が流行っていると理解したようで、警官の巡回が増えた上に取締りも増えてしまい、私らは夜遊びしずらくなった。もっともいくら警察が取り締まりを強化しても薬物をやる奴はやる。シンナーの値段は飛び上がり、むしろ売人は儲けたんじゃないかと思う。
私自身は、やっぱりお祖母ちゃんの言うことは正しかったと確信し、お寺や神社などはもちろん、社の跡地などに踏み込む時は必ず心の中で一礼するようにしている。
後年、山登りをするようになり、野山には人が踏み入ることを躊躇うような場所があることを知った。そんな場所に入ってしまった時は、必ず背筋を伸ばし、合掌してから一礼して立ち去るようにしている。
迷信だとは思うが、なんとなくそのほうが安心できるからだ。世の中、すべてが論理と科学で解明できるわけではないのだから、多少は迷信めいた所作も必要なのかもしれません。
多分、人は未知なるものを畏れる気持ちを持っている方が自然なのだと思います。