ヌマンタの書斎

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歴史を謝罪する無意味さ

2013-06-06 12:05:00 | 社会・政治・一般

すぐに謝るのは日本人の悪い癖だ。

人間って生き物は優しさと残虐さを双方持ち合わせている。おそらく誰もがそうなのだろうと思うが、たまたま恵まれてた環境におかれると残虐さや冷酷さとは無縁の人生を送る人だっている。

だが同じ優しき人が、置かれた環境次第で如何様にも変貌する。極度の貧しさ故に、奪い合い、傷つけ合い、騙し合うことが当たり前の環境だってある。そのような環境で育ては、人は優しさを忘れ、心を凍らせて、無慈悲に冷淡に生きていかざるを得ない。

歴史を学ぶということは、人間という生物の残虐さ、冷酷さ、卑劣さを学ぶことでもある。

例えば南大西洋のサモア人のなかには、他の島に侵略し、そこに住む人たちを虐殺することを繰り返した一族がある。驚くべきことに、その侵略に理由らしき理由がない。強いて言えば、侵略そのものに喜びがあったとしか言いようがない。ただ奪うだけ、殺すだけで、罪悪感の欠片もない。

彼らは南太平洋一帯の支配者ではあったが、統治することはなく、ただ侵略し暴虐の限りを尽くすだけであった。それはヨーロッパの侵略と植民地化により終わりを迎えたが、当のサモア人たちに謝罪とか反省の色は皆無である。

似たようなことは世界中、至る所であった。

「神が欲したもう」ただ、その一言だけで行われた虐殺、絶滅、破壊は数限りなく行われた。正義、とりわけ神の正義を口に唱えた人間ほど、他者に対して残酷なものはない。いかなる非道も、神の正義の実現の名のもとに正当化される。

中世から近代にかけて西欧で行われた魔女狩りでは、多くの無実の婦女子が残虐に暴行され、拷問された挙句に惨殺されている。それが誤解と無知と邪悪な欲望の果ての行為だと分かった今でも、それを反省し悔いる言葉は残されない。

ユーラシア大陸を縦横に駆け巡った騎馬民族は、その侵略の都度、敗者の妻を奪い、娘を拉致し、犯し孕ませ、挙句にその子を奴隷として売り払った。そこに罪悪感などあるわけもなく、むしろ誇らしげに酒席で語られるほどであった。

これを平和を保障された安穏な生活のもとでの常識で裁くことこそがオカシイ。

何時の時代でも、弱者は悲惨な生き方を強いられた。敗者は奪われることはあっても、与えられることは少ない。それが当たり前であった。

19世紀末から20世紀初頭まで日本は列強と称された強国であり、侵略者であり、支配者であった。かつてアジアの盟主であったシナを近代兵器をもって蹂躙したのは事実であり、それゆえに多くの権益を手にしたのも事実である。

そして、そこには多くの悲劇があったはずだ。日本軍兵相手に売春して稼いだものの、その受け取った軍票が日本の敗戦とともに紙切れと化した悲劇もあったであろう。支配者であった日本軍に媚びて取り入り、敗戦後に裏切り者として辛酸を嘗めた悲劇もあったであろう。

せっかく日本名をもらい、必死で日本語を学び、大学にまで進み、役所に真面目に務めたのに、日本の敗戦と共に売国奴として弾劾された不幸もあったはずだ。期待を裏切った日本に対する恨み骨髄なのは当たり前だと思う。

で、日本のなにが悪いのか。別に負けたくて負けたわけじゃない。どうせなら、日本を負かしたアメリカを恨んで欲しいものだが、強者に吠える勇気がないからこそ日本にタカルのであろう。負けた、すなわち弱者に落ちた日本にしか吠えられない根性なしに、なんで謝る必要がある。

ロシアのプーチン大統領が海外に出ていた時だが、当時第二次大戦時のカチンの森でのポーランド軍将校の虐殺事件が戦後半世紀を経てようやく日の目を浴びていた。もちろん虐殺をやったのは旧ソ連の赤軍であったため、西側のメディアはここぞとばかりにプーチン大統領へ厳しい質問を投げかけた。

しかしプーチンはその質問には答えず冷たい視線を返しただけ。後になって広報担当官が「戦争は両国に不幸な傷跡を多数残した。それを遺憾に思う」とだけコメントし、そこでお終い。もちろん当事者のポーランド国民は怒り、西側マスコミはこれこそロシアの本性だと騒ぎ立てた。

でも、いくら騒いでもロシア政府が相手にしないため尻つぼみ。

日本政府は、このロシア政府の冷淡で酷薄な態度をこそ学んで欲しいものだ。

私は事実を隠ぺいしろとは言わない。でも過去の常識を現在の価値観で裁くのは間違っていると思います。そして感情論で騒ぎ立てる相手に話し合いなど通じるはずもない。敢えて断言しますが謝罪は間違いであり、無視するだけの豪胆さをこそ身に着けて欲しいものです。

そして何より大事なのは、歴史を学ぶこと。半世紀前の戦争を反省するのなら謝罪ではなく、なぜ負けるような戦争をしたのか、避ける方法はなかったのかを真摯に考察して欲しい。謝罪は反省にはなりません。せいぜい、「ボク、謝っているからイイコだよ」との甘ったれた自己満足を肥大させるか、あるいは惨めに侵略された近隣国の歪んだ自尊心を増長させて歪ませるだけでしょうね。

コメント (2)
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