なぜ今、人種差別問題が大きく問題視されるのか。
もちろん、人種差別は良い事ではない。大きく問題視して、それがイケないことであることを周知することは悪くない。だが、スポーツの試合で、観客やスポンサーのロゴまで外して試合をするほどのことなのか、疑問に思った人も少なくないと思う。
実のところ、人種差別自体はそれこそ人類創世の時期にまでさかのぼる現象である。肌の色、髪の色、体つき、言葉が異なる異民族同士が出会った時、そこには必然的に緊張が走る。これは異なるものへの警戒心の顕われであるだけでなく、異分子を排除する本能でもある。
だから、昔っからある問題でもあるが、古来より隆盛を誇った文明は、この人種間の緊張を超えて協力しあう社会を作ってきたのも事実である。異なる文化、異なる人種の協調により、より強く明るい文明が花開いたのも確かだ。
しかし、異なる人種、異なる宗教、異なる文化が戦乱のもととなってきたのも歴史的事実である。だからこそ人種差別は国を超えて解決すべき課題でもある。だが、21世紀を迎えた今日ほど、人種差別に過敏な時代はそうそうないだろう。
20世紀は革命と戦争の時代であり、正しいとされた異なる二つのイデオロギーが対立し合う時代でもあった。それはベルリンの壁の崩壊とともに、イデオロギーが信頼を失くし、少なくても資本主義対社会主義といったイデオロギー闘争は幕を下ろした形で終結した。
しかし、信じていたものを失ったことの空白を埋めたのは、これまで封印してきた拝金主義と民族及び宗教感情である。あの悲惨なユーゴスラビア紛争や、アルカイーダのようなテロ組織が急激に過激化したのは、この流れを受けてのものである。
この動きは今後、ますます加速化すると予想される。危険なのは中央アジアの少数民族であり、中南米の麻薬組織であり、そして中華系の裏組織である。また危険ではないが、今後より活発化が予想されるのは、カナダのケベック州であり、イラクやトルコの境界にまたがるクルド民族であり、北アイルランドなど他にも幾つもの民族的感情の昂ぶりから、独立運動を志向する少数民族は少なくない。
だからこそ、現在世界各国の政府は人種問題に過敏となる。ほんの小さな差別問題から火が付いて、全国的な暴動に広がる可能性があることを浮黷骰痩ニは数多ある。一度火が付いた民族感情の昂ぶりを抑えるのは至難の業なのは、世界共通の認識である。
嫌な予測ではあるが、21世紀は加熱しすぎた経済と、抑制されてきた民族感情と、近代に反発する宗教が世界に混迷をもたらす時代だと思う。それを予測しているからこそ、世界は人種差別問題に過敏な反応を示す。
幸か不幸か、日本では少数民族は、あまりに少数過ぎてあまり問題意識が生じなかった。しかし少子高齢化を迎え、外国からの移民が増えていく現状を思えば、早めに少数民族問題と、人種差別問題は堂々問題視されねばならないと思う。