もう読むのを止めようかと思いつつ、ついつい手に取ってしまうのが西尾維新の困ったところだ。
保健室のひきこもり娘を探偵役とした「世界」シリーズの第三作目が表題の書だ。探偵役がいる以上、当然にミステリーなのだが、殺人事件が起きても警官は登場せず、学園内の事件であっても教師は登場しない。
まるで大人を拒否するかのような奇妙な世界を構築しているがゆえに、どうしても私なんざ違和感を禁じ得ない。これは学生時代から作家を目指し、ほとんど社会人として組織に属することがなかった作者自身の人生観によるところが大きいように思う。
大ヒットとなった「戯言シリーズ」もそうだったが、驚くほど大人が登場しない。いや、正確に言えば、まともな大人が登場しないのが西尾維新の小説の特徴である。
だが、なんといっても特徴的なのは、その独特の文体であろう。登場人物の氏名が珍妙なのはともかく、その饒舌な文体は他に追随を許さぬ個性的な文章である。饒舌と言いつつ、会話文では決してない。
むしろ脳内会話というか、思索の堂々巡りを文章化したような印象さえ受ける。多分、作者は普段無口な人なのかもしれないと勝手に想像している。私の経験上、無口な人ほど頭の中でいろいろ考えを巡らせていることが多いからだ。
私はむしろ逆で、話すこと、あるいは書く事で考えをまとめるタイプだ。だからこそ異なる視点であるがゆえに、西尾維新の文章に惹かれるのかもしれない。
もう一つの特徴は、極めて不愉快な人物を登場させることだろう。見た目は普通、行動も普通、どこといって特徴のない普通の人物でありながら、その思考は異様にして異質。
普通を装いながら、実は自分が極度に頭がイイと自覚しており、自分以外の人間を無意識に見下す。自分は特別だと自覚しながら、それでいて特別だと周囲から見られることから逃げる。
こすっからい大人になってしまった私からすると、小賢しいだけで、自分が傷つくことを異様に恐れるだけにしか見えないが、なまじ普通の外観であるだけに不快感から逃れえない。
おそらく作者はそれを分かっていて登場させている。その小賢しさが見破られ、その臆病さが露見し、普通にふるまえずに破綻した時のカタルシス。これもまた西尾維新の小説の特徴でもある。
ただ、最近はエンターテイメントに傾唐オがちで、初期の頃のようなミステリーは書いてくれないのが不満。漫画の原作も手鰍ッているようだが、単行本は出せばベストセラーの売れっぷりなので致し方ない気もする。
でも、そろそろ西尾維新は卒業しようかなと思っています。楽しいことは楽しいのですが、そこから先がないように思えるのが辛いところ。ライトノベルだから、それで十分なのかもしれませんが、深みに欠けるのが物足りなくなってきた。
「戯言シリーズ」での主人公のように、地に足が付いた変貌は好ましいのですが、いつまでも異様で異質に拘りすぎるのも正直飽きがきます。でも、最近のほうが売れているあたり、若い世代と私とのギャップなのかもしれません。
それはそれで、少しさびしいのですが、致し方ないです。