750(ナナハン)ライダーといえば、若い頃は憧れであった。
当時は限定解除といって、府中か鮫洲の試験場での実地テストを合格しなければ、排気量400cc超の大型バイクには乗れなかった。しかも、この試験はかなり意地悪で、暴走族風の若者は滅多に受からない。
試験官である警察が、明らかに目に見えぬ障壁を設けて、若いライダーを排除していたと思う。私の周囲でもバイクの運転は上手いが、外見がリーゼントヘアで如何にも暴走族風にみえてしまう連中は、誰一人この限定解除の関門を通過できなかった。
私自身は、原付免許で何度も捕まり、遂には免許取り消しとなっていたので限定解除どころか、中型バイクの免許も諦めざるを得なかった。どうも私はバイクに乗ると、交通法規を忘れてしまう性分であるようだ。
一応言っておくと、車の免許は20年近くゴールドであったし、人身事故は皆無なので、悪質ドライバーという訳ではない。ただ、ここ3年ほど、やたらと警察に目を付けられる不運に恵まれたせいで、後一点で免停である。やっぱり私は警察は嫌いだ。
それはともかく、バイク自体は嫌いではない。むしろ好きなほうだが、好き過ぎて道路交通法が邪魔で仕方なく思えてしまう。だから十代の頃は、反則金の支払いのためにバイトに精出した位である。
さすがに免許取り消しとなった後で、自分にはバイクは似合わないと無理矢理納得させて以来、自転車派に転向している。当然、信号なんて守るもんか!
今でも不思議だが、バイクには社会に背きたくなるような魅力があるように思う。ただ単にバイクが好き、それだけでは済まなかったのは、この反社会的雰囲気をバイクがまとっているからだと思う。
表題の漫画は、私が十代の頃に週刊少年チャンピオンに連載されていた。当初は反抗的な雰囲気をまとい、鋭い眼光で学校や社会に素直になれない一匹狼的な若者が主人公で、本田のCB750に乗って暴走族とレースをしたり、喧嘩をしたりの漫画であった。
ところがいつのまにやら、その鋭い眼光は丸く優しくなり、仲間とのんびりと喫茶店でゆったり青春している、さわやかマンガに変貌していた。私はそれが嫌で途中から読まなくなっていたが、人気自体は後半のほうがあったようだ。
作者の石井いさみといえば、少年院帰りの青年や、社会からはぐれた若者を描いた作品が多かっただけに、この変貌はいったいなんだったのか不思議だ。まったく根拠のない私の想像だけど、このような変貌は多くの場合、家族か宗教の影響であることが多い。
一時期、聖教新聞に漫画を連載していたので、創価学会の信者と思われていたこともあったが、本人が否定している。そうなると、やはり家族なのだろう。
私個人は、主人公の早川光が群れることを嫌い、安易に普通の高校生であることさえ否定していた頃の方が好きだった。でも、漫画としては優しく変貌した後半のほうが人気があった。たしか10年以上連載が続き、単行本も50冊を超えると記憶している。
今回、たまたま漫画喫茶で初期の頃の単行本を数冊読み返したのだが、私はやっぱり初期の頃のほうが好きだ。だって、バイクって笑顔で乗るより、鋭い眼光を放ちながら乗るほうがカッコいいのだもの。