ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

袴田事件再審決定に思うこと

2014-04-08 15:43:00 | 社会・政治・一般

目的を達成するための手段として組織は設立される。

だが、組織というものは月日が流れると、その組織の目的よりも、その組織の存続のほうを優先するようになる。

法治国家である以上、その治安を守る目的で警察や検察は設立された。法による正義の実現こそが、その組織の存在意義である。

だが、神ならざる人間のすることだから、必ず過ちを犯す。過ちを犯さない人間など存在しない。存在しないが、過ちを認めることは、組織の存在意義を揺るがす行為だと組織は考える。

正義の実現を目的とする組織ではあるが、その組織の存在意義を守るためなら正義をないがしろにすることさえ辞さない。

だからこそ、自白は強要され、証拠はねつ造され、無実の者は死刑囚として収監された。

それが袴田事件である。

無実の者を50年近くにわたり拘束しただけではない。一家四人を殺害した真の犯人を放置した。

過ちを認めることは、組織を危うくすることだと信じて、正義をないがしろにした警察と検察の罪は重い。だが、その過ちを起こした当時の捜査官及び検事は既に退職しているはずだ。

普通の考えならば、過ちを如何に償うのかを考える。しかし、おそらく検察は過ちを認めず、最高裁まで上告を繰り返すのだろう。でも最新のDNA鑑定技術と過去の証拠の再検討からみるかぎり、再審決定が覆ることはあるまい。最後まで過ちを認めなければ、それで済むと思っているのか。

繰り返すが、人間は間違える生き物だ。間違いを犯さない人間なんて存在しない。もちろん、間違いを起こさぬように努力するのは当然に必要だが、間違いが起きてしまった後にどうするのか。それを考えず、ひたすらに間違いを認めないとう態度でいたからこそ、この悲劇は起こった。

人間とは不完全な生き物であり、間違いを起こす生き物であるという現実を直視する勇気と寛容を持たねば、第二、第三の袴田事件は起きるだろう。無実の罪で半世紀を刑務所で過ごした悲劇は、繰り返すべきではないと思います。

コメント
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