今、農業が危ない。
農家の高齢化が進み、都市近郊農家が農地を手放すケースも少なくない。その一方で、都市の食糧需要を満たすために特化した農家の経営刷新は進み、採算ベースに乗ってきた農家も増えてきており、農家を継ぐと決心したお子さんと共に頑張る農家もたしかにある。
その農家を今、相続税が襲い掛っている。
従来、農地の評価額は宅地の百分の一程度となる。また農地について相続税が出ても、農業を継続する限りにおいては納税猶予の規定があり、この制度を活用して都市近郊農家は生き残ってきた。
ところが、その農地の評価が税務署により覆されるケースが近年散見されるようになった。一言で云えば、農地として評価した土地を、税務署が「これは農地とは認められないので、宅地並みに評価しなおして課税します」として莫大な追徴税額を求められ、それが払えずに農地を売却して納税する。当然に農家としての存続は難しい。
税務の世界では、農地を耕すことが出来る土地だと規定している。ところが近年、農地の一部を舗装したり、構築物を建てる農家が増えている。たとえば都市近郊に多いブドウやキウィなどは、棚を作り、その棚に果樹をそわせる。その際、下に簡易舗装した道を作り、その道の上を軽トラックで移動して果樹を採取する。
背の高い果樹の場合、いちいち梯子を鰍ッるよりも、軽トラの荷台から採取したほうが早いし効率的であるので、多くの果樹農家が採用している。ところが税務署に言わせると、この舗装された部分はもう耕せないので、ここは農地ではないと言う。
またイチゴ農家の場合、イチゴをコンクリ製の棚にそわせて育てる。この棚は地面に据え付けた構築物であり、当然その部分は耕せない。だから農地ではないと云う。これだけではない。都市近郊に多い花の栽培農家はもっと悲惨だ。
花の栽狽ヘ、ビニールハウスなどの簡易建物の中で行うが、一般的にはそのビニールハウスの中に鉄パイプなどで棚を作り、その棚の上で花を栽狽キる。税務署は、これもまた農地ではないと断言する。
鉄パイプで棚を作る場合、しっかりと地面に刺して補強しなければ、安定せずに危険である。また温度管理や湿度、あるいは水の供給などを考えると、鉄パイプで作った棚は、花栽狽フ必需設備である。
耕せる土地=農地という定義そのものが時代に合っていない。まして温度管理、湿度管理、水管理などを複合的に行う水耕栽培ともなると、簡易とはいえないしっかりした構造の家屋の中で行う。
こうなると、如何に農作物を作ろうと、そこは農地ではないとされる。農地ではない、すなわち宅地並みの課税をされてしまう。すると評価額は100倍近くに跳ね上がる。郊外ならば雑種地の扱いを受けて、それほど評価額が上がらないケースもある。
しかし、都市近郊農家は農地の周辺は、ほぼ宅地であり、宅地並み課税をされると相続税額は数十億になるケースもある。農地でない部分には納税猶予の適用はなく、こうなると農地を売却して納税資金を作らざるを得ない。
私は農地とは、農産物を産出する土地だと考えている。耕せる土地=農地という概念は、既に時代遅れだと言わざるを得ない。農地を一度、宅地化してしまうと、元の農地に戻すのは非常にコストがかかる。だから元々は農地を守るために、耕せる土地=農地という概念が生れた。それは分かる。
でも時代は変わった。栽培技術も変わり、栽培する農産物の種類も変わっている。状況が変わっているのに、税法の解釈が変わらないことのほうがオカシイ。
一昔前ならば、農家と密接につながっていた自民党の議員たちが一肌脱いだ。ところが農業人口が激減した都市部では、農家を積極的に面倒をみる政治家までもが激減した。農家よりもサラリーマンやOLといったホワイトカラー層からの支持に重点を置く議員がほとんどとなってしまったからだ。
こんなことでいいのか?
少子高齢化が進む日本ではあるが、世界的には人口増加と食料不足は現在進行形の問題である。まして食料を輸入する比率の高い日本である。農地と農家の保持は、国民の食糧を確保する意味でも、重要な課題であるはず。
とりわけ農作物の流通距離が短くて済む都市近郊農家を保持することは、非常に大切なことだと私は考えています。農地なんて自分には関係ないと思っていても、案外毎日の食事の中では、その都市近郊農家が作った農作物を食べていることは少なくないはず。
ガソリンを消費して遠方から安い食料を運ぶのが悪いとは言いませんが、身近なところで作られる農産物には、単純に安い高いでは測れない価値があると思うのです。一刻も早く、農地の定義を改正する必要があると、私は少々焦り気味なくらいに感じています。それくらい、農地の危機は迫っているのです。