頑固おやじはこわい。
プロレス観戦歴の長い私だが、この人の試合を生で観たことはない。ただし名前だけは知っていた。ただしプロレスラーとしてではなく、ジャイアント馬場の師匠としてである。
馬場がプロレス誌のインタビューなどで師匠のアトキンスを、頑固おやじと呼び、怖くて厳しい人だったと述べていたことは強く覚えている。当時は、その程度の認識しかなかった。
実はジャイアント馬場こそ、アメリカのプロレス界で最も成功した日本人レスラーである。後年、グレート・カブキやグレート・ムタなどが活躍したこともあるが、全米をまたにかけて暴れた超一流の悪役キラー・ババには遠く及ばない。
もし力道山が、馬場を強引に帰国させなかったら、文字通りアメリカのトップ・レスラーの一人として君臨できたといっても過言ではないだろう。実際、アトキンスはそう言って力道山に、馬場を再びアメリカに寄越すよう熱望していたのだから。
もっとも力道山もそれに素直に応じる訳にはいかない事情があった。プロレスラーはデカくて強いだけでは駄目だ。プロレスラーに観客の目を惹きつける華がなければ商売にならないのがプロレス興行の難しさ。
当時、既に力道山は体力が下り坂にあり、興奮剤を飲んでリングに上がる始末であった。後継者に見込んだマンモス鈴木はデカイが鈍く、豊登は怪力だが技がなく名勝負が作れない。
だからこそ期待を込めてアメリカに送り込んだジャイアント馬場のスター性は手放すには惜し過ぎた。馬場とて当初はデカイだけの木偶の坊だったが、アメリカに修行に出してからは見違えるように華が咲いた。観客の目を惹きつけるだけの動きが出来た。力道山が待ち望んだスター選手であった。だからこそ、アトキンスの話にそう簡単に乗る訳にはいかなかった。
力道山が迷っている最中に事件は起きた。ジャイアント馬場のスター性に嫉妬した一部の先輩レスラーが、試合中の事故として馬場を痛めつける陰謀が練られていたのだ。もっとも、その先輩レスラーは口が軽く、そのことを酒の席で話してしまったので、あっという間に噂が広まった。
この噂を聞きつけて激怒したのが馬場をアメリカに勧誘中のアトキンスであった。その先輩レスラーとのタッグマッチで、あっという間にその選手の腕を折ってしまったのだ。これで馬場への嫉妬中傷は収まった。
実はアトキンスは、当時のプロレス界では有名な実力派で、その強さは鉄人ルー・テーズ、カール・ゴッチやディック・ハットンに並ぶと云われていた。ただ、あまりに頑固だったので、チャンピオンベルトへの挑戦はプロモーターから煙たがれので無冠であった。
このアトキンスが馬場の背後に控えていたがゆえに、馬場はアメリカでも存分に悪役レスラーとして活躍できたのが実情である。もちろん、その機会を活かしたのは馬場の実力であり、馬場が弱ったわけでは決してない。
昔のアメリカでのアトキンスのビデオを見たことがあるが、まるでアマチュア・レスリングのような地味な動き。ロープに飛ぶことも、ジャンプすることもなくタックルと組み付き、関節の取り合いに終始する。これでは人気は出ない。でもあの頃は、このような古風なレスリングを理解できるプロレス・ファンが確実にいた証拠でもある。
アトキンスは老齢になるまで引退はしなかったが、そのレスリング好きは本物で、幾人もの名レスラーを育てたことでも知られている。意外なところでは、あのタイガー・ジェット・シンがアトキンスの教えを受けている。シンが強いのも当然だろう。
私は現在のアメリカン・プロレスがあまり好きではない。その華やかさや、ショーマンシップの見事さは認めるが、演技が派手すぎて、どうも好感がもてない。さりとて、アトキンスのようなあまりに地味(だから本物なのだが)過ぎるプロレスも楽しめない。
でも、アトキンスのような地味でも本物のレスリングの要素がない、格闘演劇(プロレス)は認めがたい。現在低迷している日本のプロレスだが、アメリカ風ではなく、日本的な格闘要素の強いプロレスとして頑張って欲しいと思います。