やはり、そうだったのか。
懐かしさは感じないが、なんとなく寂しさを感じてしまう。
新安保法制への反対デモで、一躍注目を浴びるようになったのが、SEALDS(シールズ)と呼ばれる若者たちの集団であった。国会の前に集まり、ラップ(?)調の反対演説らしきものをかまして、マスコミの注目を浴びていた。
もっとも、その主張はあまりに幼稚で、日本の学生の知的レベルを疑いたくなるようなものであった。そのせいで私は無視していたが、おバカなマスコミが過剰に報じるせいで、乗せられている学生やら、若者がかなりいたらしい。
もちろんお決まりの、反日自虐文化人は新しい希望の星だと盛んに持ち上げていて、正直私はウンザリしていた。ただ、なんとなく気にはなっていた。彼らの主張は幼稚ではあったが、なぜか私の記憶をくすぐるのだ。
週末、少し手が空いた時にネットで検索して、その正体が分かった。
彼らシールズは、SNSなどで自主的に集まったと称していたが、実際は高校の同窓生を中心にしたグループであった。大学がバラバラなので、気が付きにくいが、よくよく見るとキリスト教の学校である。
なによりも、私が気になったのが、内村鑑三系のキリスト教団体が深く係っているとされる高校名であった。私が小学校の頃に参加していたキリスト教の団体が、まさにそれであったからだ。
ただし、彼らの出身校である西日本の高校ではない。私が子供の頃はなかったはずだ。私がかかわりをもっていたのは、東北にある某全寮制の高校だった。同い年の友人が数人おり、毎年夏の合宿仲間であった。
中学までは、互いにキリスト教を学ぶ同志として、仲良く遊べた。しかし、おかしくなってきたのは、彼らがその全寮制の高校に入ってからだった。アメリカが核兵器を廃棄すれば、中国もソ連もそれに倣うと真面目に云っていた。
武器の放棄は同時でなければ、互いに信用されないことぐらい、当然の常識だと思うが、彼らには通じなかった。ソ連や中国は、全国の労働者、貧しき市民のための味方で、アメリカこそ独占資本の強欲な帝国であると真剣に私に訴えてきた。
正直、付いていけなかった。転校が多くて人間不信から、孤立しがちの私を優しく受け入れた、貴重な友人たちであった。彼らと理解し合えないのは哀しかった。大人たちも、私を盛んに説き伏せようとしたが、幼少時から米軍基地勤務のアメリカ軍人家庭の子供たちと争った経験がある私には、彼らの理想は受け入れがたかった。
仕方なく私は、彼らの下を去った。争いたくなかったし、理解し合えぬことも分かっていた。あの団体には、空想的というか理想的に過ぎる平和志向が強すぎた。私は、武力均衡による安定こそが平和だと考えていたのだが、この現実的な考えは受け入れられなかった。
おそらくだが、あの全寮制の高校では、生徒たちに平和教育を刷り込んでいるのだと思う。西日本にあるという、シールズの中心メンバーが通った高校も、同じ団体の系列なので、私のかつての同志たちと同様な教育を刷り込まれたのだろう。
私とて、世の中が平和であって欲しいと真剣に思っている。しかし、人の世には争いごとが絶えることがない現実も分かっている。その争いが国家間でも絶えずあり、話し合いによる解決がないと、最終的には武力による力づくの解決がなされる。
良い悪いではなく、それが人類の歴史だし、未だ如何なる思想、宗教も、この繰り返される戦争を止めることは出来なかった。それが現実である。ならば、その現実を直視して、可能な限り戦争を減らし、戦争に至らぬように現実的な努力をするべきであろう。
話し合いは大事だ。しかし、十分な武力を持たねば話し合いの相手として認められないもの事実である。戦う覚悟のない相手は、交渉の相手としてさえ認められない。
シールズの若者たちは、単なる自分たちの欲望を吐き出しているに過ぎない。彼らがそのことに気が付くことはあるのだろうか。多分、ないと思います。愚かだと吐き捨てるのは簡単ですが、私にはどうしてもある種の寂しさを禁じ得ないのです。