ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

技術大国幻想の終わり 畑村洋太郎

2019-02-08 16:33:00 | 

本当にお洒落な人は、目につかないところにも金を掛けるという。

一方、私は目につかないところは、けっこう手を抜く。その代表が下着である。3枚1000円とかの格安商品を愛用している。はっきり言うが、格安商品は長持ちしない。

アンダーシャツやパンツは、一年持てば良い方だ。私は使い捨ての感覚で買い替えている。でも、旅行などで、更衣室等で人目にさらされる時のために、少し値段のはった下着も持っている。

値段も3倍以上するが、着心地はもちろん、数年たっても着くずれしない。縫製とかの違いなのだろうけど、やはり国産のものが良いように思う。でも日常的に着るものは、相変わらず安い下着で済ませている。消耗品はそれでいいと割り切っているからだ。

逆に金を掛けても良いと思っているのが靴。私はけっこう歩く。以前、万歩計で測ってみたら、一日15000歩前後であった。都内ならば、電車で一駅くらいは普通に歩く。タクシーに乗ることは稀で、むしろ積極的に歩きたがる。だから、靴は良い物でないと、足にも身体にも良くない。

ものによって高品質なもの、低価格の消耗品と分けて買い物をすることは、私に限らずよくあることだと思う。それなのに、品質が良ければ絶対に売れるはずだ。そう思い込んでいたのが、日本の大企業であった。

当時、よく言われたのが付加価値。たしかに多機能な家電製品は見栄えが良く、お値段もお高い。盛んにCMを流していたが、残念ながら大企業が期待したほどは売れなかった。まして海外では相手にもされなかった。

今だから分るが、それは当然の結末であった。大企業は自己満足の多機能高価格商品に浮かれていたが、消費者はそんなものに踊らされなかった。高齢化が進む日本では、購買力に余裕のある高齢者は、多機能よりも使いやすさを欲していた。

古着をお洒落に着こなす若い世代は、高価格の家電製品なんて、まったく相手にしなかった。高価格な商品の売れ残りは、企業の財務を急速に悪化させた。不良在庫と化した商品は、お金にならない。

気が付いたら、大手の日本企業は家電分野で世界市場から追いやられていた。消費者が欲しいものを作らず、企業の自己満足でしかない商品に拘った結果がこの惨状である。

いくら技術が高くても、品質が良くても、消費者が欲しがらないものはダメ!

簡単なことだと思うが、何故に日本の大企業は、それが分からなかったのか。そこに着目したのが表題の作品の著者である。本当に必要とされる技術とは何か、求められる品質とは何なのか。

そのあたりを理論的に追及し、今後の日本企業の在り方までを提示している。全ての意見に賛同できる訳でもないが、私が内心感じていたことを、理論的に解明しているところに感心しました。興味がありましたら是非ご一読を。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする