ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

官房長官の不満

2019-02-19 11:55:00 | 社会・政治・一般

私が政治や社会問題に関心をもったのは、小学生の高学年になった頃だ。

きっかけは、当時熱心に通っていたキリスト教の集まりで、大人たちからいろいろな話を聞いたことであった。早く大人になりたかった私は、この手の政治談議、社会問題啓発などに大いに影響を受けた。

当時はまだ社会主義が、人類の至るべき目標としての輝きを失っていなかった。だから社会主義と、その先の共産主義は若い人たちから絶大な支持を受けていた。そんな若い人が周囲に沢山いたので、無知で未熟な子供の私は、これこそ私が求めるものかもしれないと熱い期待を抱いたものだ。

ただ幼少時に米軍基地の近くで育ち、傲慢な白人の子供たちと触れ合って(というか、組み付き合い、殴りあって)いた私には、どうしても彼らの主張する反戦平和には納得できずにいた。

日本人を冷然と見下す白人の目を知っていたので、彼らと対等に平和を話し合えるなんて信じられなかった。「話せば分る」より先に、とりあえず殴りあっていた私には、喧嘩に勝って優位な立場で交渉するほうが得だと肌で知っていた。

だから大学の講堂や、公民館の会議室で誇らしげに語られる麗しき反戦平和の主張に、どうしても馴染めずにいた。理想は分かるけど、現実に殴りあっている(戦争をしている)連中に、話せば分るなんて通じるはずのない道理だと思っていた。

でも黙っていた。まだ小学生の私には、大学生のお兄さんたちに反論する術を持たなかった。反論すれば、その場に居ずらくなることぐらいは分かっていた。早く大人になりたかった私にとっては、その場にいることが大事だった。だから黙っていた。

納得はしていなかったが、私は彼らを嫌ってはいなかった。みんな優しいイイ人だった。弱い人への労わりの気持ちと、過酷な現実に対する怒りの目線を持つ彼らは、私にとっては十分慕うに相応しい人たちだった。

転校先の小学校でいじめられたり、迫害されたりして、いささか人間不信の気があった私が、はじめて見つけた私の居場所であった。ここを離れたくなかったからこそ、黙って不満不信を押し殺すことが出来た。

断言するけど、私が子供から大人になる途中において、あのような安定した環境があったことは、非常に重要であったと思う。以前書いたことでもあるので、省くが、高校生の頃には他に安定した人間関係を築けるようになったので、私はこの教会の集まりから離れた。

離れる際も、喧嘩したり、口論したりするようなことはしなかった。黙って消え去ったのは、彼らのことが好きだったからだ。みんなイイ人だったんだ。

あれから30年以上経つが、今でも彼らはイイ人だったと思っている。同時に、イイ人だったからこそ現実が見えていなかったのだと分る。

イイ人は自らがイイ人であることを強く自覚している。自分が正しいと確信している。だから、その正しさを揺るがすような現実から目を逸らす傾向が強い。

もっと言えば、自身の言動、信念を省みることをしない。ひたすら斜め上に輝く理想に向けて邁進するばかりで、振り返ってその道が正しかったを検証することをしない。

そんな典型が、東京新聞の望月記者だと思う。管・官房長官が記者会見の場から排除したがっている某記者とは、間違いなくこの望月記者だろう。

もっとも官房長官は、この人を記者だとは思っているまい。記者に値しない人物だと思っているのだろう。

民主主義社会においては、権力を看視し、有権者にその実態を伝えるマスコミは必要不可欠である。だからこそ政治家の記者会見は自由であるべきなのだが、この望月記者はあまりに政治的に歪んでいて、それが不愉快なのだろうと思う。

管官房長官の不満は分かるというか共感さえ出来るのだけど、そのような不愉快なマスコミは排除するのではなく、公開するのがベストです。あの記者の質問と言う名の誹謗を見て、それに賛同する有権者は少ないと思います。

排除ではなく、堂々公に曝してやるのが王道だと思いますよ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする