ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

火の賜物 リチャード・ランガム

2019-02-25 11:40:00 | 

地球において、火を使って調理をして食事をするのは人間だけである。

食材に火を通すことにより、食べやすくなる。この事の意味は非常に大きい。人間が食事に費やす時間は、地球上の生物のなかでも、際立って短い。

例えばライオンだが、獲物を倒してその肉を食べるのだが、肉の消化に時間がかかる。炎天下のサバンナでライオンが昼寝しているのは、休むというよりも消化のために動かずにいるのが実態である。肉を消化するのは、肉食獣にとってもけっこうな手間なのだ。

猿の中でも、比較的人間に近いチンパンジーは、雑食性だが割と肉を好む。だが、小型のサルを捕まえても、食べるのは柔らかい内臓中心で、筋肉部分は後回しだ。生肉を食べるのは、チンパンジーにとってもかなりの重労働で、平均して一時間は咀嚼しなければならない。

それを厭うて肉を吐き出すチンパンジーもいるという。果実や草葉を食べるゴリラなどは、起きている時間の大半を咀嚼に費やしている。草食動物ですら、反芻という重層的な消化活動をしないと、必要な栄養を取れない。

野性動物が人里に下りてきて人間の残飯などを好んで食べるのは、決して偶然ではない。彼らは知っているのだ。火を通して調理された食材が、非常に食べやすいことを。実際、調理された食材と、日ごろ食べている生の食材を選ばせると、大半の動物は調理済みの食材を選ぶ。

大半の動物が、食材を消化するのに多大な時間をかけている。ところが人間だけは、その時間が非常に短い。それゆえに、消化器官が他の動物に比べて小さい。咀嚼するための口も小さく、噛む力も弱い。

同時に、消化した栄養を多くを脳に回すことが可能な人間は知恵を発達させて、文明を築き上げた。火によって調理された食材が、人間を進化させたとの主張が、表題の書において主張されているのだが、相当に説得力がある。

著者はあまり関心がないようだが、私は読んでいて「鶏が先か、卵が先か」を考えずにはいられなかった。

想像なのだが、人類の祖先である直立猿人が火を通した食材の味を知ったのは、落雷により燃え上がった野火が自然に消火した跡地ではないかと思う。そこで、食べなれた獲物や、木の実などが焼けているのを見つけて、試しに食べてみたところ美味しかった。

しかも消化に時間がかからないことを体感した猿人たちは、やがて自ら火を熾して調理することを覚えた。その結果、噛む力は減少し、消化器官も小さくなり、替わりに脳が大きくなったのではないだろうか。

更に想像してみると、最初の調理法は直火焼きではなく、蒸し焼きではないかと思う。これは地面に穴を掘り、焼けて熱くなった石を底に敷き詰める。更に灰をかぶせ、葉っぱなどでくるんだ肉や木の実を置いて、土をかぶせて埋める。こうして数時間後には蒸し焼き料理が出来上がる。

この方法は現在も荒れ地で野外生活を送るアボリジニなどがよく使う調理法でもある。やがて土器を考案して、煮込んだり、蒸したりするようになったのだろうと、私は想像しています。

してみると、人間は直立猿人たちが、食材を美味しく食べるために努力した結果の賜物として進化してきたのかもしれません。我々が美味しい物に目がないのも当然かもしれませんね。

コメント (2)
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