ヌマンタの書斎

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月見草

2020-03-24 11:46:00 | スポーツ

決して月見草ではなかったと思う。

プロ野球の名選手であり、名監督でもあった野村克也氏が亡くなったとの報道を目にした。

その偉大な実績を認めつつも、私はあまり好きな選手、監督ではなかった。野村氏が自らを月見草に喩えたのは、長嶋茂雄という希代のスーパースターあってのことだ。

長島こそまさに太陽であった。グラウンドのどこにいても人目を引く魅力ある選手であった。単に打率やホームラン数だけならば、長島を上回る選手は少なくない。

しかし、野球ファンがここぞと望む時に、その期待に応えて結果を出すという一点に於いて、長島茂雄は唯一無比の存在であった。

それだけではない。その人柄が陽性であった。冷静に見ると、おっちょこちょいであり、能天気でもあるのだが、それを周囲が許せる人柄の持ち主であった。

だから長嶋茂雄の前では、どんな優れた選手も影が霞んでしまったのは無理ないことだ。

そして、この輝く太陽である長島の照り返しを受けて輝いた選手も多数いた。江夏しかり、星野しかり、である。同じ打者としても山本浩二や張本、そして野村もまた打倒・長嶋に闘魂を燃やした選手であったのは誰もが知っていた。

なかでも野村克也は、選手を引退した後も、監督として打倒・長嶋に執念を燃やし続けた人だ。天性と直感の人、長島に対抗するに、データーと理論をもってした戦った。これこそが、野村監督がプロ野球界に残した最大の遺産であったと私は確信している。

ところで現役で捕手をやっていた野村選手は、嫌らしい「つぶやき」で悪名高かった。相手チームの選手が打席に立つと、小声で「昨夜はすすき野のお姉ちゃんとどうやったんや?」とか、「右ひじの怪我、完治したのか?」とかつぶやく。

これで集中力を乱されて、思うようにバットが振れなかった選手は意外と多い。真面目な王選手も、この野村捕手のつぶやきには閉口したと後年述べている。

しかし、唯一このつぶやきは長島選手には通じなかった。長島が打席に立つと、小声で「昨晩の銀座のクラブではお楽しみだったそうだな」とか「左肩の振り方がおかしいけど、怪我でもしたんか?」と野村がつぶやく。

すると長島は「え~、なんで知っているんです」とか「いやいや、絶好調ですよ」とか真面目に答えるのだが、実はまるで聞いていないのが長島。ピッチャーが投球を始めると瞬時に集中して見事に打ってしまう。

その打球を見上げながら「全然、聞いていないじゃないか、あいつ」と嘆いていた野村選手だが、心なしかその表情が嬉しそうだったのは、私の気のせいだろうか。

月の輝きは、実は太陽の反射光である。野村克也は月見草というより月そのものであったと私は思います。

コメント
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