勝手に思い込んではいけない。
盲導犬は大人しく従順だ。目の不自由な人のガイド役として、盲導犬は大事な役割を担っている。いわば目の不自由な人の目の替わりを果たしている。
だから、それを知らぬ子供に構われたりしても、大人しくなすがままで我慢している。
短気な私は、そのような場面に出くわすと、その子供を犬から無理やり離し、抗議する無知な親共々叱りつける。ただし大声で怒鳴るのではなく、低音でドスを効かせて、無理やりねじ込むように語るので、ビビった子供がおもらしして閉口したことがある。
その間もじっとして、待機している盲導犬の従順さは、ちょっと感動ものだ。短気な私は見倣いたいとさえ思っている。
でも、それは違うのだと獣医さんから教わった。
その獣医さんの元には定期的に盲導犬が、患者としてやってくる。まず、最初にしてあげるのは、盲導犬に装着されたハーネスを外してあげること。
ハーネスが外れた瞬間、それまで大人しかった盲導犬は、診察室中を駆けまわる。看護助手に飛びつき、まとわりつき、尻尾を千切れんばかりに振り、遊んで、遊んでと甘噛みする。
「盲導犬も、本当は普通に遊びたいのですよ」と獣医さんは教えてくれた。ちなみに獣医さんとは、あまり遊びたくないようなのが寂しいですねとも語っていた。
何故?と尋ねたら「私は痛いこと、つまり注射を打つ人だからでしょう」と肩をすくめていた。しばらく自由に遊ばせた後で、再びハーネスを装着すると、途端に盲導犬は大人しくなるそうだ。
こうしてストレス発散してあげると、その後の処置、つまり注射などがやりやすいそうだ。
あのハーネスには、そんな役割があったのかと改めて驚いた。同時に盲導犬の与えられた役割に対する忠誠心に感銘を受けた。そして、そんな盲導犬の隠された本音を知って、なんだか無性に寂しい気持ちにさせられた。
いつか医療が発達して、盲導犬がいらなくなる時代が来てほしいと切に願います。