ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

八王子城跡

2020-05-22 12:51:00 | 日記

忘れていたのに思い出してしまった。

東京西部にある古城が八王子城である。ただし、城としての建造物はなく、城跡として残されている。厄介なのは、本来の八王子城は今の城跡よりも遥かに広かったことだ。つまり周辺の住宅地や公園、駐車場も元は城跡であった場所であったことだ。

八王子城は北条氏の小田原城と関東を結ぶ重要な拠点であり、それゆえに秀吉の小田原攻めの攻撃対象であった。ただ小田原城は日本でも屈指の守りの堅い城であるため、秀吉は前代未聞とも云える分厚い包囲網を敷いた。

その一方、八王子城は小田原への見せしめもあってか、戦国時代でも珍しいほどの殲滅戦が行われた。ちなみに殲滅戦は残酷である以上に、味方の犠牲も多く、戦後の再建も難しくなる。それゆえに戦国時代でも殲滅戦は滅多に行われていない。(対宗教勢力を除く)

その結果、八王子城は血に染まり、炎に燃やし尽くされ、守備側の兵士、その家族などは殺されるか、自害するかの凄惨な戦いとなってしまった。正確な人数は不明だが、2千から3千人は殺されたとされる。ほぼ全滅だと言ってよいはずだ。

あまりに残酷で凄惨な戦いであったが故に、江戸時代になっても城として再建されることはなかった。本来は山城として地形を活かした堅い城なので、再建されないことが不思議だと考えるのが普通だと思う。

でも地元の方はご存じだと思う。この八王子城跡は心霊スポットとして有名なのだ。それは江戸時代でもそうだったようで、八王子自体は甲州街道の関東平野への出入り口であり、交通の要所である。

しかし、八王子城跡地は江戸の昔から再開発が進まなかった。それは明治、昭和になってからも同様であったようだ。進まない一因に、この八王子城跡のお化け話があると噂されたほどだ。

実際、東京屈指の心霊スポットとしては噂話にことかかない。事実、私が過去に書いた記事のうち、2つほどはこの八王子城跡とその周辺で起きたことを元に書いている。

何度も書いているが、私は今だかつてお化けとか幽霊を見たことはない。その点だけは確信をもって言える。ただ、聴こえることは、ままあるらしい。

実際、深夜に車を運転していて聴こえないはずの声を耳にしたり、足音を聴いたと思った経験はある。そのうち二回はこの八王子城跡周辺なので、国内有数の心霊スポットとの評も無理ないと思っている。

で、思い出してしまった。2回と思っていたが、もしかしたら3回かも。

あれは私が二十歳前後の頃だ。車の免許を取り、父から車を与えられた私は、休みになると彼女を連れてドライブに夢中だった。東京西部にある波の立つプールがある遊園地に行った帰りだ。

道路沿いのファミレスで夕食をとり、その後少し山間の宿泊施設で一休みした。プールで遊んで疲れていたので、休憩して深夜に帰宅するつもりであった。でも結局泊まってしまった。

ところで下世話な話だが、私は人並みにスケベだと思うが、だからといってスケベ上手ではない。ただ若かったので体力だけはあり、後は熱心であっただけ。ただそれだけだ。

なのだが、その晩はやけに燃えた。私よりも彼女が妙に入れ込んでいた。スケベな私はそれを勝手に喜んでいたが、翌朝になり彼女が妙なことを口にした。私の手が何本もあって全身を撫でられたと。

その時は、へっと思っただけだが、施設を出て車を出口に回した時、私たちの目に飛び込んできたのは、古色蒼然たる墓地であった。その施設、お寺の裏にあったようだ。助手席の彼女の顔が真っ青になっていた。

「早く車を出して!」と言われて、あわてて車を走らせた。その後、無言になった彼女がお祓いに行くと言い出した時、私はなにも言えなかった。これが原因だとは思いたくないが、その数日後彼女から別れ話を切り出された時の無力感は、なんとも憂鬱なものだった。

嫌な思い出なので忘れていたが、藤堂高虎の記事を書いた夜に思い出してしまったよ。ちなみに例によって私はなにも感じなかった。なにも聴こえなかった・・・と思う(スケベに夢中だっただけかも)。スケベなお化けなんて嫌いだ。死んでいるのだから、スケベ心なんて忘れろと言いたいです。

コメント (6)
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