ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

ちーうし

2021-06-11 11:46:00 | 日記

ちーうし、って何だろう?

家でのんびりネット散策していると、たまに見かけるのが「チー牛」という言葉。どうも、あまり良い意味では使われていないようだが、特に興味もなかったので、そのままスルーしていた。

でも、やっぱり気になったので、GOOGLEで検索してみたら「チーギュウ」だった・・・

なんでも「すき家」の人気メニューである三色チーズ牛丼を頼んでいる地味な青年のイラストが元ネタらしい。意味としては、陰キャラを揶揄するものだと説明されていた。



く、下らねぇ。

誰が何を食べようと良いじゃねえか。どうもネット上のスラングであるようだが、それが一般に広まって使われているようだ。

だいたい、人を明るいとか暗いとかの二分法で分ける人って、自らが頭の悪いことを宣伝しているようなものだと思う。

誰にだって気分が明るい時もあれば、暗く落ち込む時だってある。その原因だって本人の責ではなく、外部から由来する避けがたいものであることも珍しくない。それを責めるな。

更に言いたいのだが、明るい=良いこと、暗い=悪いことと決めつけて良いのか?

人生のどん底で暗く憂鬱な日々の中から生まれた素晴らしい成果は数多あるぞ。オランダのゴッホの絵が世界中で高く評価されるのは、彼が長い鬱状態で沈思黙考した日々があればこそだ。

誰にも解けなかったフェルマーの定理を解決したロシアの数学者は、周囲の目線など気にせず、ひたすらに長い歳月をかけて問題解決に取り組んだからこそ結果を出せた。

西欧の近代と、日本の伝統との融合に苦しみぬいた夏目漱石は、気が狂うほどの読書と誰にも理解されぬ苦悩を抱えながら、日本独自の文学の道を拓いた。

電気を生活に取り入れて今日の文明の土台を築いたエジソンは、どちらかといえば陰湿な思考者だ。決して明るい人柄ではないと思う。

日本の平和愛好市民が大好きな人権思想を生み出したルソーの生涯は、妻や子を踏みにじる陰湿さに彩られている。その人生は人権を蔑ろにする生き方そのものであったが、それでも後世に残した人権思想が偉大であることに変りはない。

理系文系を問わず、人類の偉大な発明、業績の誕生に寄与したのは、どちらかと云えば長く暗い模索と思考の繰り返しである。

賢しげに暗そうな若者を「チーギュウ」とか言って馬鹿にしている陽キャラは、自らの軽薄さ、思慮の浅さを自白しているようなもの。他人を見下すことで、自分を高めに見せる下種さを自覚できないところが、一番痛いですね。

コメント
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