ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

プロレスってさ 藤波辰巳

2021-06-15 13:41:00 | スポーツ

プロレス会場に女性ファンを呼び込んだ男、それが藤波辰巳であった。

もちろん藤波以前にも女性客がいなかった訳ではない。ただ、どちらかといえば玄人筋の方が多かった。男性に連れられてくる女性客とは異なり、逞しいプロレスラーを楽しみたいお客様であった。

子供の頃、小遣いを貯めてプロレス会場に行くが、安い二階席が多かった。でも、国際プロでも新日でも、わりと子供には甘くて、リングサイド近くは危ないので無理だが、後方の通路などで立って観戦することは黙認されることが多かった。

あの頃、すなわち昭和50年代のプロレス会場は基本、男性客が中心だが、私らのような子供も親や祖父母に連れられてきていた。逆に女性客は少ないがゆえに目立った。

子供目線ではあるが、その女性客は派手な人が多かった。しかも化粧品の匂いをプンプンさせていることが多く、私はあまり好きではなかった。しかも、プロレスの試合を真面目に観ているとは思えない人もいた。

だいたい二種類いて、外人レスラーお目当ての女性と、若手男性プロレスラーお目当てであったと思う。控室に通じる通路で、プロレスラーに花束を渡す時に、その逞しい筋肉を撫でまわしているのを見て、ひどく猥褻な印象があったことも、私が女性プロレスファンを嫌がる理由の一つであった。

だが中学生の頃になれば、それらの女性ファンには単なるファンではなく、スポンサーというかタニマチと相撲の世界で呼ばれる人たちであることも分かってきた。そりゃ、無碍には出来ないな。

ところが、私が高校生の頃になると、素人っぽい女性ファンが急激に増えた。その契機となったのが、ニューヨークでジュニアヘビー級のベルトを獲って、凱旋帰国した藤波辰巳であった。

顔だちはハンサムというよりも、すっきりした真面目そうな風貌で、なんといっても体つきがカッコよかった。無駄な贅肉の少ない筋肉質の体つきは、男からみても見栄えが良かった。

そして、そのリングでも戦いぶりも、反則が少なく、スマートなものであった。フルネルソンからのスープレックスも凄かったが、リングの外へダイブする姿も恰好良かったと思う。

当時、新弟子であったライガーこと山田選手が、藤波選手の帰国以降、プロレス会場はお洒落な雰囲気が漂うようになったと証言している。ただ、藤波選手は非常に真面目というか堅物で、毎晩違う相手とベッドの上でプロレスをするようなタイプではなかったようだ。後に美人で名高いかおり夫人を娶ってからは、奥様一筋の堅物であったそうである。

実はこれってかなり珍しいタイプで、女性のタニマチに夜の接待をし、女性ファンを夜の場外乱戦に持ち込むような不埒な選手のほうが多かったのは秘密である。

ところで、藤波は女性に対するのと同様に、プロレスでも相手を選ぶ堅物というか、ちょっと不器用な選手であった。逆にかみ合う相手だと、名勝負といわれるような凄い試合を何度も展開している。

有名なのは古館アナ曰く「名勝負数え歌」と称された長州力との試合であろう。もっといえば、長州選手の魅力を一番引き出したプロレスラーこそが藤波であったと思う。

その一方、かみ合わない相手とは凡戦というか、ちょっと変な試合をする人であったとも思う。ボブ・バックランドに延々とキーロックを仕掛けたり、剛竜馬とのそっけない試合がその典型だ。

ただし、プロレスラーとしてはかなり秀逸で、ベイダーのようなパワーファイターからエル・カネックのような空中を飛びかうメキシカンスタイル、はたまたスティーブ・ライトのような業師とも上手にプロレスを演じている。

これは私の想像だけど、多分性格的に合わない人とは、うまくプロレスが出来なかったのかもしれない。現役当時はよく分からなかったが、プロレスを引退してからの言動から、藤波選手は性格的に頑固一徹な部分が多いように思います。

プロレスラーには喧嘩好きの荒くれ者が多いのが普通ですが、藤波選手は生涯一度も自ら喧嘩を仕掛けたことがないそうです。そしてもめ事に直面したら、それを避けてしまうと自ら言っているほどの平和主義者。これ、プロレスラーとしては相当珍しいです。

しかし、中学卒業後プロレス界入りして、以来プロレス一筋の一徹さ。格闘技の経験はなく、街の喧嘩歴もない。しかし、カール・ゴッチ道場で半年以上過ごした(これ、かなり凄いです)強者であり、世界中どこでもプロレスの試合が出来る強さももっている。

女性にもモテながら、それを活かす気もなく、試合後は歴史書を耽読し、バランスのとれた食事と運動で、その逞しい体つきを維持する。まさにプロレスの求道者。それでいて、それを感じさせない普通の雰囲気をまとった変人。

そのせいで、私はこのブログになかなか取り上げる気持ちになれなかったのです。でも、かつての対戦相手から賞されることが多いので、改めて取り上げた次第。

いろいろと思うことは数多あるのですが、それは藤波選手個人の責に帰するものでもないので、今回は書きません。

ただ、一言云わせてもらえば、藤波辰巳は常識人ではあるが猪木の後継者足り得なかった。それを残念ととるか、自らを弁えた英断と取るかは人次第だと思っています。

コメント (4)
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