ヌマンタの書斎

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なぜ地形と地理が分かると世界史がこんなに面白くなるのか 関 真興

2023-07-10 09:38:15 | 

歴史の授業はつまらないというクラスメイトは少なくなかった。

歴史大好きな私はそれを耳にするのが辛かった。でも分からなくもない。あんな年号と事象の暗記に堕した授業を面白いと思う訳がない。私だって嫌だ。でも、なぜに面白いはずの歴史が面白くないのかが分からなかった。

今なら分かる、そのツマラナイ理由が。一言で言うなら、歴史を科学に仕立て上げようとした科学信仰が悪い。

西欧近代主義に染まった国特有の現象なのだが、古来より人類を支配してきた宗教あるいは神に替わって、近代は科学を崇め、論理を貴ぶようになった。科学的志向は古代からある程度はあった。しかし、神に替わって価値観の中心に居座ったのは近代以降である。

だが、よくよく考えれば歴史は科学ではない。むしろ物語である。人が主役の物語だ。だからこそ悲劇と喜劇が繰り返され、戦争が賛美される一方で人類愛が高らかに謳われる。論理的に矛盾していようと、それが人間であり、その矛盾だらけの人間の織り成す物語だからこそ歴史は面白い。

だが、科学に絶対的価値観を持つ近代人は、その歴史に科学的あるいは普遍性を求め、年号と事実の羅列こそが真の歴史だとして、従来の歴史を葬り去った。その近代人の代表か、ドイツのカール・マルクスである。

マルクスは自分の考えである「共産主義」を科学的に正しいものだと決めつけるため、「資本論」という本を書いた。驚くべきことに、共産主義と相対する自由市場主義者たちまでもが、このマルクスの科学的志向に強く影響を受けた。

更に驚かされるのは、この科学的思考至上主義は学者のみならず官僚にも強く支持されて広まった。学校教育が行き届いた国ほど、この科学的思考至上主義は強く根付いた。これが、歴史をつまらなくさせた最大の原因である。

15世紀、大航海時代に先駆けてバーソロミュー・ディアスはアフリカの南端である喜望峰にたどり着いた。教科書はそう記載する。

私は中学でも高校でも、その史実は暗記できたが、なぜにディアスは大西洋を南下したのか、南下しただけの史実が何故に重要なのかは、さっぱり分からなかった。

インドやアジアに到着したのならば、その歴史的意義は分かる。しかし、ただ南下しただけ。それだけの史実に何の意義があるのか、私には理解不可能だった。私がこの疑問の解答を得たのは、20代も半ばを過ぎてからだ。

当時、私は長期の病気療養中であり、体力こそないが、時間は有り余るほどにあり、その時間を持て余したいた。だからこそ、図書館に通い、本を読みまくり、己の未熟さと無知を知り、改めて学生時代に学んだはずの歴史を勉強しなおすことにした。

そこで改めて知ったのは、宗教的情熱の邪悪さと、気候と風土に翻弄される人の矮小さであった。私はまったくの勉強不足であった。はっきり断言しますが、日本の歴史学者(歴史教科書の執筆者でもある)は、宗教に対して臆病だ。宗教の強さ、怖さを教えることを避ける傾向が強い。

私は宗教を無用の産物だとは考えていない。人が知性と論理の限界の果てにある苦しみを救えるのは、唯一神の恩寵のみだと考えているからだ。神に救済を求める以外に苦しみから逃れる術がない以上、宗教を否定するのは間違いだとも思っている。

人類の歴史とは、一人の個人の生涯の積み重ねである。人の理解なくして歴史の理解なし。今の歴史教科書には、宗教、地理、天候などの要素が薄すぎる。

表題の書は、予備校で長年歴史を講義してきた方の書かれたもの。正直言うと、私には物足りなすぎる。でも、世界史の知識が足りないと自覚している方には、分かりやすい歴史教科書になり得ると思います。

コメント (2)
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