逃げることも大事だと何故に教えない。
その点、シナ人は偉い。あの毛沢東なんざ日本軍はもちろん、アメリカ製の兵器で武装した蒋介石の国民党にも勝てないと踏むと、ひたすら逃げ回った。恥も外聞もないどころではない。俗に長征一万キロなどと威張っているが、実態は戦わずに逃げまくりである。
これこそが毛沢東をしてシナ共産党を勝利に導いた軍事指導者としての最大の功績だと思う。敗北を認めず、敵に投降することさえ禁じた日本軍とは大違いだ。日本軍と国民党が戦い合い、消耗戦を繰り返した後、日本軍をゆうゆう逃して、日本軍の下で鍛えられた北方軍を受け入れて、国民党を台湾に追いやった。
まさに逃げて勝つを実践してのけたのだ。
その点、日本軍は撤退戦が下手だ。これは一概に軍指導部のせいだけとは言えない。元々細く長い日本列島は山と川に区切らているせいか、移動できる範囲が限られていた。この地形的な制約のせいで、中世までの日本は陸上交通がかなりお粗末だ。
比較的整備されたとされる江戸時代でさえ、一番整備されていたはずの東海道でさえ馬車も満足に走らせられない。そのかわり沿岸海路を使った物流が発達しており、また河川を使った物流も大きな河川ではよく使われていた。明治になり鉄道が敷設されるまで、日本の物流は船が担っていた。
そのせいで、人の移動がかなり制限された。これは踏みとどまって耐えて生きていくことを日本人に叩き込む結果となった。この考え方は今も普遍的にある。これが今日のいじめ問題の根底にある。
私自身、二度ほど転校先でいじめを受けている。半端に生意気で反抗的だった一度目は、やったらやり返すを繰り返した結果、クラスどころか他のクラスの連中にまで嫌われ、挙句に先生までいじめに加わりやがった。今だから分かるが、私のやり返す遣り口は、かなり汚い手口であったらしい。アメリカ人の生意気なガキどもとやりあって覚えた喧嘩の手法は、長閑な住宅地の学校では異端であったことが原因でもあった。
多勢に無勢では勝てず、仕方なく学校をさぼり、放課後いじめっ子どもが一人になったところを襲って警察沙汰になり、学校を巻き込んで大騒ぎになった。ありがたいことに、我が家は母の転勤に伴い引っ越すことで、このいじめ問題から逃れることが出来た。後年分かったのは、教育委員会に顔が利いた叔父の助力で母の転勤が認められたらしい。
転校先でもいじめはあったが、私はもうウンザリしていたので、黙して耐えていたが、ある日我慢出来ずにいじめの主犯に一騎打ちを挑み、引き分けに持ち込んで周りから認められ、いじめはなくなった。
いじめに対して一番有効なのは、私の経験上戦う姿勢を見せることだ。でも私は知っている。戦えない連中のほうが多いことを。ひどい場合、味方であるはずの家族でさえ、黙って耐えろと間違ったことを教える。
気の弱いいじめられっ子には、戦うのも無理、耐えるのも無理。ならば逃げればいいのだが、それを否定する親や教師は意外と多い。賢しげに、逃げた先でも同じことが起こるだけだと説教するが、それはある意味嘘だ。親も教師もいじめに対して戦うことを避け、世間体だけを考えているだけだ。
本当に子供の幸せを願うならば、子供をいじめ地獄から救出することだ。親にそれが出来ないならば、耐えろなどと子供に余計な責め苦を負わせるな。子供を逃がしてやれと、声を大にして言いたい。
では、耐えきれずに心が壊れてしまった子供はどうしたらよい。その結果、人生を狂わされた子供はどうしたら良いのか。
表題の作品の根底にある「いじめ問題」、これを題材にした荻原浩の用意したエンディングは決して爽快ではないが、読むに値する良作だと思います。