ヌマンタの書斎

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殺っちゃえ宇喜多さん 重野なおき

2023-07-05 13:25:06 | 

一人殺せば殺人者、10人殺せば殺人鬼、でも1万人殺せば英雄。

歴史上、特に近代以前では大量殺人者は英雄として賛美されてきた。もちろん敵国の兵士を殺してこそだが、歴史は勝者によって書き記される。これは、やらねば、やられることが常識の世界の価値観であり、法治により安定した社会ではなかなか通じない。でも、それはこの200年足らずのことだ。

下剋上が当然の価値観であった戦国時代、暗殺と謀殺により戦国大名として名を挙げたのが備前の宇喜多直家だ。江戸時代に儒教的観点から卑劣な悪人扱いされていたのは気の毒に思うけど、戦国時代でも周囲から警戒されまくりの不幸なお方。

でも私はこの人は英雄とは言わないまでも、立派な戦国大名だと考えています。

宇喜多直家は本来味方のはずの相手に襲われて城と領地を失い、ボンクラの父と共に流浪の生活を送った苦労人。だが、その才能を見込んでの支援者及び部下たちが少数ながら居た。しかし、あくまで少数だ。

だからこそ、戦場で堂々敵を倒すのではなく、謀略、暗殺を問わず卑劣と言われようと敵を無慈悲に葬ってきた。あまりに苛烈すぎて味方からも恐れられたが、それも戦場で数少ない味方を減らしたくなかったが故だと思う。

ちなみに日本で最初に鉄砲を使っての暗殺を実行したのは、この直家だとされている。暗殺と謀殺だけでなく、海賊まがいの略奪もしているが、実は正々堂々とした戦場での差配も並み以上の技量である。

実際、信長の命で播磨攻略を命じられ、悪戦苦闘する秀吉に味方し、その信頼を得るために毛利の猛将・吉川元春と智将・小早川隆景の二兄弟の攻撃を見事に防ぐ功績を残している。この実績と引き換えに、息子の行末を秀吉に託している。

そうせざるを得なかったのは、直家が当時「尻はす」と呼ばれた悪性腫瘍で死期が迫っていたからだ。息子・秀家を託された秀吉は、後に五大老の一人に選び、直家との約束を守っている。ただ関ヶ原の戦いで西軍に立ったため、敗北後八丈島に島流しにあっている。

息子の最後はともかくも、当時まだ信長の一将に過ぎなかった秀吉に未来を託す当たり、相当な見識の高さだと言わざるを得ない。

日本史に疎い私は、戦国三大梟雄としてしか知らなかった。しかし近年歴史四コマ漫画で名作を輩出している重野なおきの「軍師・黒田官兵衛」で、その人となりを知り非常に驚いた。実は重野本人も同様であったらしく、改めて別作として刊行したのが表題の漫画です。

四コマ漫画故の読みやすさから軽く見られがちですが、大変に分かりやすく、かつ楽しく描かれていますが、歴史学者の監修を受けているだけに、そう史実から外れていません。機会がありましたら是非ご一読のほどをどうぞ。

コメント (4)
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