ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「虎よ、虎よ!」 アルフレッド・ベスター

2007-01-25 09:59:21 | 
文章を読んだ時、感じる印象の一つに重厚さや、軽妙さというものがある。前回、書いたジョン・ル・カレなどは重厚な文章だと思うし、新井素子は軽妙な文章だと思う。重厚な文章は、料理するのに時間がかかる料理にも似ている。食べた後の腹の満足度は大きいが、そう頻繁には食べられない。軽妙な文章は、さしづめ3時のお茶菓子か。紅茶を片手に気軽に読みたいが、いくら食べても栄養価は低そうだ。

一方、開高健の文は、読むのに力が要る気がする。堅い果実を噛み締めるが如き印象がある。堅いが、噛むほどに芳醇な香りが漂う。これはこれで魅力的な文章だが、少々顎が疲れる感がして、そう頻繁に読みたいとは思わない。

私が敬愛する吉川英治や庄野潤三になると、すっきりと文章が脳裏に運び込まれてくる、練達の文章だと考えている。これは腕のいい料理人が作る割烹での味噌汁やご飯の味わいといったところか。飽きないし、安心感が嬉しい。

若い頃は、激しい文体に強く惹かれた。大藪春彦や西村寿行、平井和正、ドン・ペンドルドンがその代表だと思う。さすがに年を重ねると、血がしたたるようなレア・ステーキは、少々敬遠するようになった。現在、それほど惹かれないのは、老け込んだからではなく、落ち着きを求めるようになったからだと思う。

ごく稀だが、スピード感のある文章という奴もある。その代表が表題の作品だ。SF小説なのだが、復讐譚でもあり、その独特の文体ゆえ、忘れがたい作品になっている。見捨てられて未開惑星に放り込まれた主人公は、そこで虎のような刺青を刻まれ、復讐を近い舞い戻る。中盤からラストに鰍ッて、物語は疾走し、加速し、壮絶なエンディングを迎える。

細かいストーリーは忘れたが、忘れがたいのが、そのスピード感溢れる文体だった。私は自分がこれまでに、何冊本を読んだのか分からないが、この作品ほどのスピード感を味わった経験はない。アルコールの強烈な炭酸入りのカクテルを一気に飲み干した気分だ。ウィ~~ゲップ!(失礼)

忘れがたい味だが、まあこれ一本でいいかな。刺激は麻薬にも似て、果てを求めるときりがないからね。
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「パーフェクト・スパイ」 ジョン・ル・カレ

2007-01-24 09:39:22 | 
年末から今年にかけて、悪戦苦闘していたのが表題の作品を読むことだった。

いろいろと雑事があり、読書に集中できなかったのもあるが、なによりも作品が重厚で、複雑で、饒舌で、なかなか全体像を掴めなかった。

親子の縦の糸。夫婦の横の糸。斜めに展開する仕事の糸。時折錯綜する友人と女の糸。様々な糸が絡み合い、縺れ、千切れて、結ばれ直される。

様々な角度から、主人公を照らし、抉り出し、さらけ出す。上下巻の後半になってようやく全体像がぼんやりと掴めてくるから、恐れ入った。

ジョン・ル・カレという作家は、スパイ小説の大家として著名だが、これほどまでにスパイ一個人の内面に踏み込んだ作品はなかったと思う。もともと重厚な文章で知られた人だが、これほど複雑で錯綜し、積み重なった構成の作品も初めてではないか?

私は日本が平和であって欲しいと思っている。しかし細長く海に囲まれ、原材料や食料の大半を輸入に頼る状況が、単独での国防を難しくしている。それゆえ、強い国との協調が欠かせない。そして、軍事力だけでは国防は難しいので、情報力(諜報力といってもいい)を身につけることが重要だと考えている。

しかし、ル・カレの作品を読むと、とてもじゃないがスパイは日本人には不向きと思わざる得ない。こんな精神構造、想像もつかん!少なくとも欧米を暗躍していた、このようなタイプのスパイは、日本には向かないと思う。

現実問題、日本政府の情報収集力はお粗末だと思うが、その一方情報収集と分析が十分出来ていなかったら、日本の民間企業がこれほどまでに世界に進出することは出来るわけない。多分、日本人には、日本人に向いたやり方があるのだろう。なぜに政府には出来ない?諜報とまでは言わないが、民間の情報収集力をもう少し活用したほうが、いいのではないか。

最近、在日外国人たちの口コミの情報力に驚かされることが、しばしばありました。他所の国で生きていく為には情報が重要であることを、なにより理解しているのが在日外国人たちでしょう。日本人だと、海外にいても大使館というお役所を頼りにしますが、どうも外国の人はそれほど自国の政府を信用していないらしい。だからこそ、自分たちの生活は、自分達の情報力で守ろうとする意識が高いのだろうと考えています。

日本人に向いた情報力って、何でしょう?少なくとも欧米型の諜報活動は向いてない気がします。資源もなく、国土も狭い日本では、今後情報の重要性が高まると考えざる得ません。少なくとも、平和憲法とやらにすがり付けば、平和は守られるといった妄想からは、早々に脱却していただきたいものです。
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「神曲地獄編」 高木彬光

2007-01-23 12:23:50 | 
昭和50年代初頭だと思うが、TVで生中継されていた「浅間山荘事件」とその後発覚した「日本連合赤軍リンチ事件」は、事実上学生運動に止めを刺してしまったと思う。

この頃までは、マルクス主義を掲げる左派政治活動には、かなりの大衆からの支持があった。なかでも若者たちが惹き付けられ、参加した学生運動は社会を動かすほどの力があった。

しかし、70年安保反対闘争に敗れてからの学生運動は急速に行き詰った。その焦りが浅間山荘事件とリンチ事件につながったのだと思う。表題の作品は、その浅間山荘事件と、その後の日本連合赤軍のリンチ事件の顛末を書き記したもので、苛烈で残虐な若者たちの暴走ぶりが描かれていた。学生運動への幻想を打ち砕く、衝撃的といっていい内容だと思う。

以後、学生運動に対する世間の評価は激変して、支持を失うどころか、白い目で見られるようになってしまった。中革派や革マル派の内ゲバ闘争が、それを加速化してしまい、現在では生き残っているのが不思議なほどだ。

正直言うと、私は学生運動家たちを応援していた。高校卒業まで住んでいた町は、大学が2つほどあり、また安い学生向きのアパートが数多くあったため、左派学生運動家がかなりいた。私が初めて彼らと接触をもったのは、近所の大学の文化祭だった。そこで毛沢東の毛語録の読書会に出席したのが、始まりだった。ちなみに当時小学6年生だったので、正式なメンバーにはなれるはずもなかったが、メンバーに知人が何人もいたので、予備メンバー的扱いだった。けっこう可愛がられたと思うし、私も大人の仲間入りをしたみたいで、気分良かった。

ただ、参加しているうちに気が付いた。グループに二つの派閥があった。一つは話し合い派で、もう一つが武力革命派であった。幼少時、米軍基地の隣町で言葉の通じない白人の子供たちと喧嘩に明け暮れた経験をもつ私は、話し合いなんざ特定の場合にしか役に立たないと考えていたので、当然に武力闘争、武力革命路線支持派であった。

何度も書くが、マルクス主義が世界に広まった最大の要因は、武力による政治闘争を肯定したことだ。だからこそ、世界各国から危険思想とされ、禁じられ弾圧された。ところが、なぜか日本では、マルクス主義の本質である、武力革命志向は抑制されてしまっていた。

もともと日本は、和をもって尊ぶお国柄であり、話し合い志向の強い気風であることは承知している。私が気に入らなかったのは、話し合い至上主義とでも言いたくなる頑迷さだった。100時間話し合うより、一発の拳骨で解決することだってある、が私の実感だった。

だから、浅間山荘事件の時も、警官隊に追いやられる学生運動家たちを応援していた。それだけに、その後のリンチ事件などの顛末を知った時は失望が大きかった。なにを馬鹿やっているのだと、悲憤したほどだ。武力は権力との闘争にこそ用いるべきで、自滅してどうする?

私が関わっていた読書会のメンバー内でも、熾烈な総括論争があり、最終的には「話し合い路線」が採択され、武力革命路線は否定されてしまった。私はずいぶんと失望したが、それ以上にがっかりしたのは、学校でマルクス主義を教える際、なぜか武力肯定思想であることを教えないことだった。嘘を学校で教えてどうする?

次第に政治に対する関心が薄れ、高校生の頃には完全に疎遠となってしまった。それでも偶に本屋さんで、昔の学生運動家たちの名前を見ると、つい手にとってみる。哀しいことに、なんだか懐メロ特集みたいな扱いになっている。たしかに稚拙な学生運動だったのかもしれないが、それでいいのか。

当時の熱気を多少でも知る私からすると、間違っていた過去を消すかのような振る舞いは愚かしいし、哀しいし、するべきではないと思う。正しく書き残すことこそ、未来への教訓となる。困ったことに、表題の本も書店では見つけられなかった。自宅の本棚の奥から、ようやく見つけ出した次第。

それにしても高木彬光といえば、かつては社会派作家として文壇の大御所の一人であったはず。なにゆえ、これほど見つけにくいことになったのだろう?時代の変化といえば、それまでだが、なんとはなしに寂しさも感じます。
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歯科医息女バラバラ死事件 夢に思う事(続き)

2007-01-22 09:34:25 | 社会・政治・一般
少し言葉足らずだったと思うので、書き足したい。

言葉の使い方は、人それぞれだし、その言葉に対する思い入れも当然に、人それぞれで良いと思う。夢という言葉は、不思議なほどに、人の心を捉えるようだ。捉えるどころか、虜にしてしまう場合もある。

私が夢という言葉に否定的となったのは、20代の長期入院の頃からだ。その病院には、様々な難病患者が集まっていた。私が聞いたこともない奇病も少なくなかった。もっとも、私のやられた病気も患者数はそう多くない。それでも一年近い入院中に、八名ほど同じ病気の患者と出会えた。

最初に知り合ったのがCさんだった。当時既に2年近い長期入院中であった彼は、どちらかといえば不良患者だった。病院を抜け出す手口や、医者や看護婦の妙な噂話を聞かされたものだ。そんなCさんだったが、夏も終りを迎えようとした日、教授からそろそろ退院しようかと言われ、凄く喜んでいた。

病棟の皆に触れ歩いていたから、相当に嬉しかったのだろう。そして翌週には退院だという週末、病院を抜け出して、前祝と称して風俗店へ行ってしまった。妙にすっきりした顔で戻ってきて、さぞや自慢話を聞かされるだろうと覚悟していたら、すぐに寝てしまった。疲れたのかな?

翌日、彼の居る病室へ行ってみると、風邪を引いて発熱したようで、苦笑いしていた。まあ、体力が落ちているから仕方ないな、と思いつつ、それほど心配はしなかった。この時点ではだ。

ところが休日明けの月曜から事態は急変した。なんと肺炎を併発して、重度患者の部屋へ移されてしまった。担当医があたふたしているので、婦長を呼んで「前祝」の件を話した。やはり黙っていたらしい。顔色を変えた婦長は、すぐに教授室へ飛んで行き、医師チームに伝えたようだ。

私らの難病は免疫システムの異常が関わっているため、意図的に免疫力を低下させる薬を長期間服用している。当然に感染症には、極度に弱くなっているのだが、これほどとは思いもしなかった。退院の予定だったCさんは、退院どころか重症患者となってしまい、その三ヵ月後には死亡した。

少しずつ体が衰えていく様子は見ていて悲惨だったが、それ以上に悲惨だったのが精神面での退行現象だった。身体が衰えていくより早く、心が衰えていった。

病棟にあまり親しい人がいなかったCさんは、私に会いたがった。婦長に頼まれ、時々面会していた。聞かされるのは、実現不可能な夢の話ばかり。どこで聞いたのか、あるいは思いついたのか、蕎麦屋を経営する話とか、マンションの管理人に納まるとか、会うたびに違う夢を聞かされた。

棒のようにやせ衰えた手足で、立つことも起き上がることも出来ず、ただ目を鈍く光らせて、滔々と夢ばかりを語るCさん。同じ話を何度も聞かされた。正直かなり苦痛だったが、それでも面会するように努めていた。

別にCさんに同情していたわけではない。憐れみを通り越すくらい、悲惨な姿は、自身への教訓として、瞼に刻み付けておくべきだと考えていたからだ。聞くのは苦痛だったが、夢しか語れない彼の悲惨な状況は、もしかしたら自分が経験するかもしれない姿だと冷徹に考えていた。

身寄りといえば、遠方から泊りがけで来る年老いた母親だけで、長期入院のせいか、知人の見舞いさえ稀だったCさんが亡くなった時、私は浮ュて病室から出なかった。

夢なんて嫌いだ。夢にすがり付くくらいなら、惨めでも現実を直視して、無様に生き延びてやる。夢に逃げるくらいなら、現実に殴りかかって潰れてやる。夢に憧れるくらいなら、現実に媚びてやる。長生きは出来ないだろうが、私は現実に足を付けて生きてやる。夢なんていらない。寝ている時に見る夢だけで十分だ。
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歯科医息女バラバラ死事件 夢に思うこと

2007-01-20 12:49:00 | 社会・政治・一般
いつからだろう、夢という言葉がこれほど明るいイメージを持つようになったのは。

私にとって、夢という言葉には、あまりプラスのイメージはない。現実と対峙する概念であり、間違っても憧れたことなんぞない。

夢が嫌いなわけではない。暖かい布団のなかで見る夢は、いつも曖昧で意味不明で、時折私を驚かせる。夢はいつだって、意味不明で論理的整合性に乏しく、必然性が感じられない。それでも、まどろみのなかで見る夢は、時に私を慰め、時に励まし、そしてしばしば困惑させる。夢なんて、そんなものだと思うし、それで十分だ。

税理士試験に合格した時、「夢を実現したね」と言われて戸惑った。夢なんて意識はなかった。実現可能な目標を達成したと考えていただけだ。実現出来ない、非現実的目標こそ「夢」だと考えているからだが、どうも私の考えは最近主流ではないらしい。

正月早々、次兄が妹を殺してバラバラにするといった陰惨な事件が、随分と報道されている。どうも「夢がない」と妹になじられたことが次兄が逆上した発端であるようだが、そんなに夢って有り難いものなのか。私に言わせれば、夢なんざ余裕のある奴の見るもので、本当に必死で生きている奴は、夢なんざ見る暇ない。今を生きるのに必死な奴は、現実逃避に逃げてる暇はない。

私が嫌いな言葉に「夢は必ず叶う」という奴がある。叶わないから夢だろう?どんなに願ったところで、叶わないからこそ夢だと思う。

努力して実現できることなら、それは夢なんて甘い言葉をつけるのではなく、目標とか目的といった現実的な言葉で表現したほうが良いと思う。冷静に自分自身の能力を分析して把握し、実現可能な目標を定め、それを実現するための具体的手段をとる。ただ、それだけのこと。

夢なんて言葉は、むしろ厳しい現実から目を背け、辛い現実的作業から逃避して、空想という名のお酒に酔いしれることを助長するだけな気がする。

子供が夢を見ることは大事だと思うが、大人なら現実を直視して、なにをすべきか考え、それを実現する努力をするべきだ。

実を言えば、私は夢をみるのが好きだ。空想の世界に意識を飛ばし、想像の海に乗り出して、心を和ませる。夢はいつだって、私を過酷な現実から逃避させてくれる。

だからこそ、普段は夢から離れて、現実を見据え、具体的行動で結果を出す。夢は夢のままでいい。
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