ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

アベンジャーズ

2012-09-06 11:51:00 | 映画

子供の頃に夢中だったアニメのヒーローたちが勢ぞろいすれば、大人だって観たくなる。

それがヒットの原因だと思う。

だから、TVアニメとして放送されたマーヴェラスのヒーローたちを観ていない人は、この映画ちょっと辛い。でも、私のようにTVのみならず、雑誌でもマーベラスの漫画を読んで育った大人にも、ちょっと辛い。

なぜなら2000年以降に製作された映画版をすべて観ていないからだ。

ただし、この映画は製作者が多額の投資を回収するために世界中でヒットするように作られている。だからマーベラスの漫画、アニメ、そして最近の映画を観ていない人でも、そこそこ楽しめる作りになっている。だから入場料を払って劇場で観ても、そう不満は抱かないと思う。

不満を抱くのは、私のようにある程度、事前に知識がある連中だろう。昔のTVアニメを探す必要はないし、マーベラスの漫画雑誌は読まなくてもいい。だが、近年製作された映画「ハルク」「キャプテン・アメリカ」「アイアンマン」だけは、事前に観ておいた方がイイと思う。

その方が絶対、より深く、濃く楽しめるはずだ。

ちなみに第二作は必ず作られると思う。それを前提に製作された映画だし、映画が世界中でヒットしている現状を見る限り、ほぼ確定だと思う。

余談だが、スーパーヒーローを集めての作品作りなら、日本のほうが昔からやっている。仮面ライダー、ゴレンジャー、その他もろもろのスーパーヒーローたちが集合して、いがみ合い、戦い、やがて和解して、力を合わせて悪と戦う。東映などが得意としている。

ただし、日本のものは完全に「お子ちゃま向け」。とても大人の鑑賞に耐え得るものではない。その点、ハリウッドは大人をターゲットにして映画を作る。そこが違う。

でもねぇ・・・あたしゃ6月くらいに知人の子供と仮面ライダーが30人ほど、ゴレンジャー(ゴーカイジャーだっけ?)たちが60人あまり総出演の映画を観たけど、まぁ、映画を観終わった時の気分は「アベンジャーズ」と大差なかったのも確か。

まぁ、最新のSFX技術と3D技術の分だけ、アベンジャーズのほうが派手でしたけどね。

コメント (6)
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瓦礫と放射能廃棄物

2012-09-05 12:38:00 | 社会・政治・一般
まだ福島原発の事故が起きるはるか前、20年以上前から私は原子力発電所の建設にいささか懐疑的であった。

現代の原子力技術は、未だ発展途上のものだ。最大の欠点は、放射能廃棄物の処理が出来ないことだ。核分裂により多大なエネルギーを得ることが出来るが、その核分裂の副作用として多量の放射線が発生し、その放射線を受けた物質が放射能を帯びて更に放射線を生じるようになる。

この放射線は人体に多大な影響を及ぼす強烈なエネルギーを有する。そのエネルギーを使って癌の治療に役立てる場合もあるし、食料品の消毒などに用いられる場合もある。またラドン鉱泉などで知られているように、微量の放射線は健康に良いとされてきたのも事実だ。

しかし、それは弱い放射線、もしくは使用用途を限定した場合に限られる。強烈なエネルギー放射でもある放射線は、DNAを傷つけたりして人体に有害な症状を引き起こすことで知られている。

実のところ、40億年を超す地球の歴史上、宇宙線として知られる放射線が常に降り注ぎ、それゆえに大半の期間、生物は地上に出ることは適わず、海中で進化を繰り返すに止まった。

放射能を遮る防壁の役目を果たした海から、生物が抜け出したのはオゾン層が作られて、有害な放射線を遮るようになって以降だ。特に地上にも植物が繁茂して、酸素が大気中に排出され、さらにオゾン層が厚みを増すと、地上に爆発的に生物が増えることとなった。

地球の大地に生ける生物にとって、放射能は未だ警戒すべき、目に見えぬ外敵なのだ。もちろん分厚い大気とオゾン層は、すべての放射線を遮ることは出来ないから、地上には常時微量の放射線が計測される。

厄介なことに、この放射線は宇宙からだけでなく、鉱物などからも放射される。特に火山が活性化している地域などは、この自然放射能が恒常的に存在している。ただし、微量なので有害とは言えず、むしろ鉱泉から引いた温泉を自然の治癒場として活用してきたほどだ。

なにが言いたいかといえば、放射能は人類が産まれる前から存在していたということだ。そして微量の放射能は、むしろ有効、有益に使うことも可能だということだ。

しかし、微量とは言えない強い放射能は明らかに生物には有害なものであるのも確かだ。そして、その放射能を完全に除去する技術を、我々人類は未だ持ち得ていない。だからこそ、私は原子力発電に対して、強い疑問を感じざる得なかった。

処理できないと分かっている放射性廃棄物を、いったいどうするつもりなのだ。それは再処理工程を得た使用済み核燃料も同様だ。更に付け加えるならば、恒常的に放射能を受けた鉄麹゙やコンクリートは、予想よりも疲弊が強く、耐用年数は通常の使用よりも短いらしい。

ということは、耐用年数を過ぎた原子力発電所を取り壊した場合に出る廃材、瓦礫にも残留放射能は強く残る。これをいったいどうやって処理するつもりなのだ。この疑問があったがゆえに、私は原子力発電に否定的であったのだ。

この疑問は、東日本大震災後も変わってはいない。ただし、石油の枯渇問題と、電力需要の世界的増大を考えると、当面は原子力発電を許容せざる得ないとも思っている。コストの問題もあろうが、代替エネルギーによる発電は、国家的課題だと認識している。

だが、一部の反原発論者が主張するような、原発の即時廃止は如何なものかと思っている。

現在、福島原発被害の影響を受けて、東北三県の被災地で生じた瓦礫の処理が問題になっている。あれだけ膨大な量の瓦礫は、被災地だけで処理することは不可能な以上、他の都道府県でも協力するべきだと思う。だが、放射能に対する恐浮艪ヲに、瓦礫の処理は遅々として進まない。

既に微量だと分かっている瓦礫でさえ受け入れるのを拒否する地方自治体は少なくない。もし、原発廃止を強行すれば、原発施設そのものから出る大量の廃材、瓦礫の処理は、いったいどうするつもりなのだ。

代替電源の確保の問題もそうだが、感情的な反対論は「とにかく、嫌なものは嫌」という妥協のない喚きに近い。放射能の処理も出来ないのに、これ以上放射能を発生させる瓦礫を増やしてどうする。枯渇する石油に代わる代替エネルギーの確保はどうなる。

原発の即時停止にせよ、撤廃にせよ、放射能を出す廃棄物の処理を考えぬ愚論に過ぎない。未だ研究途上といっていい原子力の利用は、今後も継続するべきだし、これまで以上に放射性廃棄物の安全な処理方法を模索しなくてはならない。

原子力利用の最終点は、核融合なのだが、率直に言って私はその実現に疑問を持っている。核融合は一言で云えば、地上に太陽を創ることだ。一兆度に達する超エネルギーを運用し管理することなんて、我々人類の科学に可能なのだろうか。

だが、研究は続けねばならないだろう。そのためには膨大な費用が必要だ。日本の理工系大学卒業生のうち、少なからぬ人材がこの原子力の分野で採用されて、いわゆる原子力村を構成する。それは単なる研究、開発部門のみならず、資材調達、保管など多方面にわたる。

福島原発の事故以降、この原子力分野で働く人たちに急速に不安が広まっている。感情的な反原発運動の高まりが、その原因となっている。なにせ、彼ら反原発論者は論理を受け入れない。ただ、ただ、感情的に嫌なのだ。こんな人たち相手の話し合いは、時間の無駄でしかないとの無力感が、殊更原子力研究に携わる人たちを不安に追いやる。

はっきりと認識すべきです。いますぐ、原発を止めても放射性廃棄物はなくならない。代替電源が出来るまでは、原発の稼働はやむを得ない、と。

そして、嫌でもなんでも、今後も原子力発電に関する研究は続けるべきでしょう。地下深くに埋めようと、それが安全だとの保証なんてない。マスコミはいい加減、不安を増長させ、反原発論者に媚び売ることを止めて、冷静に現実を報じるべきです。
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中国嫁日記 井上純一

2012-09-04 12:19:00 | 

かつてジャパユキさんという言葉があった。

今じゃ、ほとんど死語に近いが、意味するところは日本に出稼ぎに来ている発展途上国の女性を指す。もっといえば、水商売で働く外国人女性であり、おうおうにして売春婦に近いイメージを持った言葉だ。

だいたい1970年代頃、つまり高度成長期の終わりぐらいに使われ出した言葉だったと記憶している。ちなみにこの言葉は、おそらくは唐行き(カラユキ)さんの派生語ではないかと思われる。

かつて貧しかった頃の日本では、貧しい家の娘たちが外国に売られていくことがあった。行先は上海、マニラ、ヤンゴン、シンガメ[ルとアジア中心であり、家政婦や女工もあっただろうが、多くは売春宿に売り飛ばされたようだ。

そんな唐行きさんの悲惨なイメージを踏襲した言葉だけに、日本でもジャパユキさんに対する目線は複雑であったと思う。実際、暴力団の資金源とされて売春を強要されたとされるケースもあったようだ。

しかし、彼女たちは逞しかった。

なにせ故国の家族の生活を背負って、借金までして日本に来たのだから、稼がずしてどうする。金になるなら、なんでもやった。そのなかには当然に売春もあった。が、いつまでも暗い仕事ばかりしていたわけでもない。

バブル期を過ぎ、長期にわたる不況の時代になっても、日本に渡ってくる外国人は後を断つことはなかった。いつのまにやら、彼ら外国人労働者は必要な存在となっていたからだ。

豊かになり、ひ弱になった日本人が働きたがらない労働現場に行けば、その現実を目の当たりにすることになる。コンビニで売られている弁当やお惣菜を作る工場に行けば、そこに外国人を見かけないことは希だ。

著名な遊園地では、お客さんからは見えない裏方の仕事場にも外国人労働者は必要不可欠な存在となっている。単純労働が多いが、それだけではなくなっている。今や高学歴な外国人労働者は珍しくもなく、それを活かしているIT企業も少しずつ増えている。

仕事だけではない。家庭においても国際結婚は確実に増えている。今や新婚家庭の7%余りが国際結婚であり、シナ、コリア、フィリピンの三国で過半を占めるという。私の記憶では、知り合うのは大概が外国人ホステスを置く飲み屋さんだったのだが、今ではネットだったり、学校だったりと知り合う機会もずいぶんと変わっている。

実際、私も外国人パブなどでけっこう遊んだから、異性の外国人に惹かれる感覚はよく分かる。私自身は結婚とか家庭にあまり積極的でないので、そのあたりを見透かされて国際結婚には至らなかったが、そうなってしまった人たちの気持ちは少し分かる。

たしかに面白いし、新鮮な感覚だった。日本人として、当たり前に思っていたことが、外国人から見ると特殊に思えることが面白かった。例えば日本人は数字を指で数える時には、人差し指から数えていく。ところが外国人(もちろん、国によって違うが)だと親指から数える。こんな小さな違いが面白い。

違っていることが面白かった。違いがあるからこそ、相通じることが貴重に思えてならなかった。親しくなる度に、この新鮮な感覚がなくならないことにも驚かされた。これは仕事でも同じで、現在は日本で会社を作り、活動している外国人経営者との接点も増えた。

日本人とは異なる視点、行動には驚かされるが、同時に学ぶことも多い。少子高齢化が進み、社会の維持には外国人が欠かせなくなることは、もはや既定路線だといって良い。

ただ、仕事ならともかく、家庭ではどうなのだろう。これは私だけでなく、魅力的な外国人の異性との結婚を考えたことがある人なら誰しもが思う疑問であろう。実際、離婚率も低くはないようだ。ある行政書士の先生は、国際結婚の4割近くは破たんすると言っていた。なんとなく納得できる。

でも、子供が出来て、その上に孫までできたオシドリ夫婦の国際結婚も実際にある。私の観たところ、世間体を気にする大企業の社員よりも、中小企業の経営者クラスに案外と国際結婚は多い。外国に工場を建てたり、支店を作ったりしているうちに知り合い、合弁企業などを進めているうちに、現地の女性と知り合って熱烈な恋愛結婚に至った経営者を知っている。

私とは仕事上のかかわりがないせいか、わりと本音に近い話を伺うことがある。やっぱり大変は大変らしい。でも、その大変さを前向きに受けて止めていけば、道は開けるものですと語っていたあたりに、秘訣があるように思う。

これは国際結婚に限らないが、一緒に暮らせば相手の良い面も悪い面も必要以上に見えてしまうものなのだろう。だからこそ、相手の良い面をのみ強く捉え、悪い面は一歩引いて受け止める。そんな前向きな姿勢が、円満な家庭の秘訣なのだろう。

そんな典型かと思えるのが、表題の漫画の作者とその奥様だろう。

まァ、実に楽しげな夫婦に思えてならない。実際には相当に葛藤はあろうし、それを匂わせる場面も描かれている。でも基本、前向きに相手の良い面を強調するかのようなエピソードが多い。

だからこそ、当初ネット上にある作者のブログに掲載されていた漫画であったのだが、あまりの面白さに支持を集め、遂に単行本として発売され重版を重ねている。第二巻も刊行されており、ずいぶんと話題になった作品だ。

ちなみに、これがブログです。


奥さんの月(ユエ)さんも面白いが、私としては語学学校の王先生とその旦那さんのエピソードが好きですね。気軽に楽しめる内容なので、機会がありましたら是非どうぞ。

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人に棲みつくカビの話 宮治誠

2012-09-03 17:15:00 | 

私としては、お化けよりも魔物よりも、よっぽど怖い。

なにがって、カビである。

お恥ずかしい話だが、私はあまり掃除が得意でない。ある程度、部屋が乱雑なほうが気持ちが落ち着くとさえ思っている。実際、寝っころがって本を読むのが好きであり、寝床から手を伸ばした先に本の山があることに幸せさえ感じている。

そんな怠け者の私だが、近年は以前よりも小まめに掃除を心がけている。理由は花粉症にある。事務所の近くの医院で、アレルギー抗体の検査をしてもらったところ、杉花粉とブタクサの花粉に対してアレルギー反応があることが分かった。

問題は三番目のハウスダストの項目にもチェックがかかっていたことだ。どうやらダニもダメらしい。調べてみると、ダニという奴は人体から出る老廃物(フケや垢)以外にカビを食べるらしい。

医者に言わせると、寝室と風呂場に気を付けろとの事。気になって部屋の隅とかを調べると、埃がたまっている。だから鼻水が止まらないのかと納得し、現在は以前より掃除機をかけるようになった。

驚いたのは風呂場で、わりと綺麗にしているつもりだったが、マットなどをひっくり返すと裏が黒ずんでいる。これがカビなのだろう。塩素系の洗剤を買ってきて、2か月に一度は大々的に掃除している。

たかがカビと侮るなかれ。

表題の本では、カビの研究をしている第一線の学者が分かりやすくカビの病害を説明してくれる。通気性の良い伝統的な家屋から、気密性の高い西欧型の家屋になって以降、急速に増えてきたのがカビによる疾病だ。

カビの元というか、カビの胞子は地球上、至る所に浮遊している。健康な人間ならば、カビを体内に取り込んでも弊害はない。しかし、病気や高齢化して免疫力が衰えた状態では、カビは人体を侵食する恐るべき病原体となる。

HIV患者によく見られたカンジタ菌などがその典型だが、国際化が進んだ今日では、日本には見られなかった海外からのカビによる病害が密かに増えてきていると、本書で警告されている。

あな、恐ろしや。

私がかつて苦しんだ難病は、ある種の自己免疫疾患でもあるので、その治療に免疫抑制剤を使用することがある。実際、合計2年余の入院生活中、ひどい時は免疫力が健常者の6割程度であった。自宅療養に切り替えてからも、免疫力が8割を超えるのに8年以上かかった。

この怖さは、経験してみなかれば分からないと思う。外出して電車に乗り、同じ車両に風邪を引いてクシャミをする人がいれば、私はその日の夕刻には発熱して寝込んでいた。浮「ほどに感染症に抵抗力がなくなっていた。

また入院中に、退院間近で無断外出中に風邪をもらって、あっというまに肺炎に移行して亡くなった同病の人も知っている。免疫力が低下している人間にとって、感染症ほど恐ろしいものはない。

本当は部屋が多少汚れているぐらい、屁でもないくらい無精な私なのだが、感染症怖さに部屋の掃除をしております。臆病に過ぎるかもしれないけど、あたしゃお化けや物の怪よりも感染症が怖いです。

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