子供の頃、TVを見ながらこの人はいつか日本の首相になるのかなと思った政治家のうち、2人だけなれなかった人がいる。
一人は現首相である安倍晋三の父親である安倍晋太郎であり、もう一人は今回八億円の借入疑惑で党首を辞した渡辺善美の父である渡辺美智雄である。
どちらも病気による早過ぎた死が原因ではあるが、安倍が竹下の狡猾さに負けたことが一因であったのに比して、ミッチーは器量不足の感が否めなかった。
中曽根派の後継者としては、いささか荷が重かったように思うし、失言の多さも足を引っ張った。が、なにより渡辺美智雄には腹心ともいえる存在がいなかった。だから、肝心要の際に一人芝居を演じてしまい、それが空回りして首相の座を逃したように思えた。
その背中を秘書として身近でみていたのが長男である渡辺善美である。いったい、この人なにを見ていたのかと思う。
たしかに気鋭の政治家ではある。行政改革担当大臣まで勤めながら、自民党を飛び出して、みんなの党なる政党の党首の座に収まった。野心満々であることが誰の目にも明らかであった。鶏口牛後を目指すのは、決して間違いではない。
しかも父親譲りとも云える、あっけらかんとした態度がその野心に黒いものを感じさせないだけの器量はあったと思う。ただ、この人は父親に比べてはるかに度量が低かった。
みんなの党とは、みんな渡辺に従えの党ではないかと、私などは邪推していた。自分の意見に反対するものを受け入れる度量に欠けていた。だから、せっかく両院合わせて40人以上の野党となったのに、すぐに党から集団離脱されてしまっている。
今回の8億円借入疑惑だって、最初から選挙資金であることは誰の目にも明らかであった。それを誤魔化そうと、詰まらぬ言い訳なんかしているうちに、どうしようもなくなっての辞任である。もっと早くに認めていれば、これほどの騒ぎにはならなかったように思うが、それを進言する腹心がいなかったのであろうことは、容易に想像がつく。
このままなら、リクルート事件での汚点を補えなかった父と同じ道を辿る気がしてならない。まァ、日本にとっては、そのほうが良いようにも思えるあたりが、この人の人徳のなさであろう。
政治家が最高位を目指すことは、決して悪いことではない。トップに立たなければ、自らの理想の政治の実現は出来やしないからだ。だが、そのためには自分の意見に反対する人をも引き付ける度量が必要だ。
良くも悪くも大物政治家であった父、渡辺美智雄の長男として、この人が常にお山の大将であった幼年期を過ごしたことは、想像に難くない。その良い面もあるが、今回は悪い面ばかりが出てしまった。
私は、人間の価値を失地からどう再起するかで測る。安倍晋三は父の死と、自らの病気により首相退陣からの復活という大業を成し遂げた。アベノミクスが失敗に終わろうと、その点だけは評価できる。
はたして渡辺善美は、この失地から立ち直り、首相の座に上り詰めることが出来るだろうか。私は悲観的にみているが、まだ時間は十分ある。ここから立ち直ることが出来れば、それは大したものだと云える。
はてさて、どうなることやら。
懐古趣味も悪くはない。
最近、ようやくそう思えるようになってきた。以前はむしろ嫌悪を抱くほどであった。特に著名人が昔は良かったとの回顧談を語るのを、うんざりしながら聞いていた。とりわけ、飲食にかかわる回顧談は、話半分に聞いていた。
老人が昔の料理は良かったと語るとき、その良かったには料理とは無関係の当時の思い出とか、思い入れが含まれている。まだ若かりし頃の思い出であり、仕事でもプライベートでも人生の盛りの頃の思い出である。その輝きが昔の料理の背景にある。
人生の最盛期の麗しき思い出の土壌に、昔の料理の記憶を添えて評価しているのだ。だから昔の名店を取り上げて、だから今は駄目なんだとの言い分は客観性に欠ける。だから大人しく聴いてはいたが、それを真に受ける事は、まずなかった。内心、新しいものへのチャレンジを厭うているだけだろうとも思っていた。
しかし、さすがに自分が50代に入ると、たしかに昔を懐かしむ保守的な喜びに浸れる悦楽は確かにあると実感できる。昔懐かしい店で、昔と変わらぬ味に接した時に感じる喜びは、人生の風雪に耐えた味であり、単純に料理や店の雰囲気だけで味わえるものではない。
これは私の主観だが、単なる味覚の基準はおそらく十代までの家庭の味、すなわち母の手料理の味で決まってしまう。しかし二十歳以降の酒を覚えてからの味覚は、自らの生き方で変わると思う。
つまり愛する異性との会食の味であり、チームメイトとの勝利を祝う祝杯の味であり、同僚や上司との仕事上の成功の味でもある。それは時には失恋の味であり、悔し涙の味であり、癒しきれぬ苦悩の味でもある。だからこそ忘れがたい味となる。
単なる料理の味ではなく、人生における様々な場面での味であるがゆえに、その料理は深く心に刻まれる。
だからだろう、良く出来た小説には雰囲気のある店での食事が重要な場面となって描かれることは良くある。そんな場面を数多く描いてきた時代小説の大家である池波正太郎は、文壇屈指の食道楽で知られた人である。
単なるグルメのガイドブックではなく、池波本人の人生を振り返るように、日本各地の名店とその料理の数々を紹介したのが表題のエッセーだ。20年以上前に書かれた本であり、今となっては失われた美食の数々ではある。
だが洋食から和食まで、高級料理から庶民料理まで、広く深く楽しんできた池波の食道楽をなぞるように楽しめる珠玉の文となっている。第一、そのタイトルからしてイイではないか。
私も散歩が好きだ。30代の頃は銀座から渋谷まで、いくつもの散歩道を楽しんでいた。なにが楽しいって、この散歩道には美味しい店のある町がいくつもあるからだ。
まず新橋、ここは庶民的な店が多く中高年サラリーマンの憩いの地である。そこから虎ノ門を経て溜池経由で六本木に向かえば、少し日本離れした雰囲気のイタリアンやステーキハウスが軒を並べている。ここで食べてもいいが、少し我慢して肉の名店が多い五反田界隈まで歩いてもいい。その先にエッチな風俗街があるのは内緒である。
ところで新橋には向かわず、日比谷公園を抜けて赤坂に向かう道も楽しい。ここは焼肉屋や洋食屋もいいが、実はケーキ屋や和菓子屋も楽しい。ここを我慢して青山や表参道まで行けば、おしゃれな雰囲気が漂うカフェやレストランが散在している。表通りから一歩踏み込んだあたりに多いので、探すのが大変だが、それもまた散歩の楽しみである。
どちらも最終的には渋谷へ向かうのだが、渋谷なら西口の東急の裏あたりがいい。ここは昔の渋谷の雰囲気が色濃く残っている。ちょっと匂いを追えば、焼鳥屋や焼き肉屋に辿り着く。ここで一杯も悪くない。
ここで満足せずにセンター街界隈まで行けば、薄着の女性たちを鑑賞できる。いくら昼間は暖かくとも夜はまだまだ冷える。それなのにあの薄着なのだから、若い女性のお洒落感覚はよく分からない。まァ、目の保養にはなる。でも食い意地の張った私は、ラーメン屋に飛び込む。この辺りは美味いラーメン屋の激戦区なのだ。
やがて満腹して幸せそうなオジサンが、井の頭線でうつらうつらしながら帰宅の途につくわけである。
散歩の時は、ことさら美味しいものが食べたくなる。だからこそ、表題のエッセーは楽しいと思う。まァ掲載された店の大半は、今はもうないとしてもね。
家でカレーを作ることは滅多にない。
別にカレーが嫌いな訳ではない。ただ、一人暮らしだと、カレーは作るのに躊躇わざるを得ない。なぜって、カレーを作る場合、ある程度具材の量がないと、美味しく煮込めないからだ。
丁寧に計量して一人分のカレーを作れない訳ではないが、これが案外と難しい。量がないために煮込むのが難しく、すぐに焦がしてしまうからだ。焦がしたカレーは美味しくない。だからカレーを作る時は最低でも3~4人分を作らざるを得ない。
この量ならば、一時間程度は安心して煮込める。ただ、私はわりと量を食べられるほうだが、さすがに一回で食べきれる量ではない。さりとて、毎回同じメニューが並ぶのは我慢できない。
カレーは案外と使い回しがしづらく、カレー南蛮と、カレー素麺ぐらいしか思いつかない。後はカレーをパンに塗るくらいだ。いくらなんでも飽きる。だから、カレーは滅多に作らない。
だから、カレーはもっぱら昼時にカレーの専門店で食べることにしている。どうしても家で食べたい時はレトルトで十分。最近はレトルトのカレーは馬鹿に出来ないレベルの味である。でも、カレー専門店には敵わない。
それでも偶に家でカレーを作りたくなる。まず、玉ねぎを丁寧に炒めることから始める。あめ色になるまで弱火でじっくり炒める。たいがいが台所に文庫本と椅子を持ち込み、ページをめくりながら中華鍋を掻き回し、焦げないように気を配る。
小一時間も炒めれば、それは美味しげな飴色の玉ねぎが炒め上がる。別皿にとりわけ、ここからはカレー用の牛肉に火を通す。これも弱火で表面が焦げない程度に、じんわりと炒める。
同時に、深鍋に皮ごとジャガイモを放り込んで茹で上げる。ジャガイモは最初から煮込むととろけてしまうので、私は最後に入れることにしている。ただし翌日以降は、このとろけたジャガイモがカレーにとろみをつける。これはこれで美味しいが、焦げやすいので注意が必要だ。
さて、肉に火が通ったあたりで人参を入れて、さっと炒める。後はホーロー鍋に湯を沸かして、炒めた具材を放り込んで、コトコトと煮込んでいく。最低でも30分、理想は一時間だが、胃袋が不満げにキュウキュウ云うので、いったん火を止めて市販のカレーのルーを刻んで、じんわりと溶かす。
ひとおとり溶けたのを確認したら、今度はカレー専門店で買ってきたスパイスを少し振りかける。私はあまり辛いのは苦手なので、お店のスタッフに相談して、カレーの風味を増す香料を買っている。
ここで、先に茹で上げておいたジャガイモを皮むきして、ゴロンゴロンと大雑把に切り分けて、カレーの鍋に放り込んで更に10分ほど煮込む。その間に大急ぎで付け合せのサラダを作り、ドレッシングをかけたあたりで火を止める。
もう胃袋が悲鳴を上げているので、我慢せずにアツアツのご飯にカレーをかけて、さっそくに頂くことにする。う~ん、やっぱり美味しいぞ。玉ねぎの甘み、牛肉の甘さが、カレーのルーの辛さを引き立てる。ゴロゴロのジャガイモも食べごたえがあり、お腹は大満足である。
よく一晩寝かせたほうがカレーは美味しいというが、私はこの出来立てのほうが好きだ。翌日は肉屋さんで買ってきたロースかつにカレーをかけて頂くが、焦げないようにカレーを温めるのに気をつかう。焦がすとカレーの風味が格段に落ちてしまうからだ。特にとろけたジャガイモや玉ねぎが焦げやすい。だから、小まめに掻き回すが、ちょっと気を抜くと焦がしてしまう。
だからホーロー鍋から耐熱ガラス製の鍋に移して、再度温めるようにしている。カツカレーは美味しかったが、それでもまだ余っている。冷凍して保存してもいいのだが、カレーの風味が落ちるので私はあまり好まない。
冬場ならばカレー南蛮にし、夏ならカレー素麺にして残りを食べきるようにしている。さすがに当分はカレーは結構な気分。だから、カレーを家で作ることは滅多にない。
それでも偶に、どうしても家でカレーを作りたくなるから不思議。ある種の中毒ではないかと思うこともある。もっとも元々甘党なので、私の作るカレーは本格的なカレー好きには甘すぎるらしい。
私に言わせれば、辛すぎるカレーは却って味覚を麻痺させてしまい、本来の食材の獅ンを味わえないように思う。でも、タイのマサラカレーのように凄く辛いのに、食材の獅ンに溢れるものもある。カレーって単純だけど奥の深い料理だと思いますね。
やってみなければ分からない。
どうも私は不器用なようで、自分で実際にやってみたことがないスメ[ツは、どうもよく分からない。主に学校の体育の授業で覚える訳だが、私は一度もラグビーをやったことがない。そのせいで、どうもラグビーには関心を持てずにいる。
ルールや雰囲気は分かるのだけど、やはり自分でやってないので実感がわかない。それは格闘技も同様で、正式に習ったことはないが、習っていた連中にやられたのでボクシングや空手、日本拳法、合気道、相撲などは、その痛みを身体が覚えているので、ある程度分かる。
実際、殴られてみて初めて空手の正拳と、ボクシングのパンチが異質であることが分かる。柔道や合気道が得意とする体重移動の妙や、打撃系の格闘技のもつ独特の距離感は、理屈ではなく身体の痛みで実感として理解できた。
不器用というか、頭の悪い理解の仕方だと思うが、身体に刻み込んだ分だけその理解は深く残る。そんな私にとって未知の世界が中国拳法である。周囲に中国拳法を身に付けた人がいなかったので、映画や漫画の知識でしか持ち得なかった。
映画はもちろんブルース・リーの一連のカンフー映画であり、漫画では空手バカ一代である。だから、どうしても打撃系の格闘技としてみていたのだが、どうも実際は違うのではないかと思っていた。
あれは大学受験浪人の頃だが、新宿のゲームセンターで遊んでいた時に、トラブルに巻き込まれたことがある。気が付いた時には、友人が見知らぬ青年と組み合っていたので、大急ぎで駆けつけて引き離そうとした。ここは場所が悪すぎる。警察に補導されるならまだしも、下手するとどこぞの組事務所に引きずりこまれる可能性もあるからだ。
私ともう一人で割って入り、引き離そうとした時だ。加勢に来たのかと勘違いした相手の一人が、私に殴り鰍ゥってきた。「喧嘩はヤメ、ヤメ」と口にしながら相手の攻撃を払いのけようとしたら、不思議なことに受けた腕が引き込まれて、身体のバランスを崩した。
柔道での崩しに近い感覚だが、相手の打撃を払ったはずなのに、その受けた腕が巻き込まれるような感覚は、今までに経験のないものであった。おっとっととよろけながら、踏みとどまろうとしたときだ。
瞬間、妙な予感がして抵抗せずに、そのままバランスを崩した方向に身体を投げ出して、転がって受け身をとって立ち上がった。振り返って相手を見たら、驚いたような表情をしており、その態勢からなにか技を放った後のように思えた。
後で観ていた友人から聞いたら、倒れ込んだ私の頭上を蹴り技が通り抜けたようだ。もし私が踏ん張っていたら、間違いなくブッ飛ばされていただろう。バランスが崩れた状態では、殴っても力が入らないし、防御もままならない。私が転がって難を逃れたのは、幸運としかいいようがない。
その時、ピーという警笛がなり、警官が自転車で駆け付けてくるようだったので、双方慌ててその場を逃げ去った。代々木まで逃げ帰り、茶店で一服してあの場を思い返してみると、どうもあの相手の使った技はカンフー臭い。確証はなかったが、少林寺の覚えがある友人はあれは太極拳の動きはないかと意見していた。
ちょっと不思議な経験ではあったが、私はもう街の喧嘩からは足を洗ったつもりなので、どうこうする気はなかった。事実、まったく忘れていたぐらいだ。それを思い出したのは、表題の漫画を読んだ時だった。
この漫画は週刊少年サンデーに連載されていたものだが、そのなかで化勁という功夫(クンフー)の技が紹介されており、それをみて思い出した。あれがそうだったのかと、改めて再認識した。
今にして思うと、あれは稀有な経験だった。日本において本物の中国拳法を身に付けた人は、そう多くはない。よく誤解されているが、日本の少林寺拳法は、中国本土の少林寺拳とはいささか異なり、日本独自の進化(あるいは変化)を遂げている。
中国拳法では東京だと小金井の澤井道場が有名だが、ここは素人お断りである以上に怖い噂がいろいろあり、とても興味本位で近づけるところではない。だからブルース・リーのカンフー映画が大人気であった時でさえ、中国拳法は幻の武術であった。
その中国拳法が、分かり易く知られるようになったのは、この漫画のおかげだと断言できる。この漫画の原作者である松田隆智氏は、台湾で実際にカンフーを学んでおり、その経験を活かして日本でのカンフーの啓蒙に貢献した人でもある。
雑誌を創刊して、中国拳法の普及に努めたことで知られている。もっとも松田氏がどの程度強かったのかは、いささか不明であり、いろいろと物議を醸したと聞いてはいるが、当人は大会などには出てないので実力は未知なのも事実。
実際、この漫画において松田氏が語る大陸のカンフーについては、かなりの事実誤認があることも分かっている。それでも中国拳法を現実的な格闘技として広く知らしめた功績は大だと思います。
調査捕鯨は、少し無理があると思っていた。
日本がクジラを食べてきた食文化を持つことは事実だ。また絶滅が危惧されるクジラの調査は必要なのも事実だろう。
しかし、遠く南氷洋まで行って数百頭のクジラを捕獲して、あまつさえそれを食べてしまう調査捕鯨には、いささか疑念が生じるのを避けられない。
私自身はクジラをそう好むものではないが、クジラの食文化を否定する気はない。また欧米のクジラ保護が、単なる絶滅危惧種への配慮ではなく、むしろ知性ある可愛いクジラを守れ!といった情緒論に根差していることに嫌悪を覚えるほどである。
それでも、日本の調査捕鯨には無理があると思っていた。日本近海にてクジラを捕まえて食べる分には構わない。でも遠く南半球まで行って、日本伝統の食文化を守ろうってのは、ちょっとやり過ぎだろうと思う。
それでも、捕鯨禁止を欧米に強要されるのは癪に障るので一応、言っておくとクジラを絶滅危機に追いやったのは他でもない欧米だ。街灯の明かりに差す脂が欲しくて、大量のクジラを虐殺して絶滅の危機に追いやったのは、紛れもなく欧米である。
そのつけを、日本やノルウィーに押し付けるやり口は、実に不愉快である。なにを食べようが、文句言われる筋合いはない。ただ、南氷洋まで行くのは、やっぱりやり過ぎだと思う。
なれば、日本近海で堂々伝統文化としての捕鯨をやればいい。シーシェパードなる環境テロリストなんて、さっさと実力行使で捕縛して追い払え。おそらく日本の世論は、それを支持すると思うぞ。
おそらく捕鯨禁止は今世紀中に廃止されると思う。理由は簡単で世界人口の増大に対応するには、今まで以上に海洋生物を食べるしかないからだ。欧米がどれほどクジラを愛好しようと、飢えの危機にさらされたアフリカなど第三社会は、間違いなくクジラに襲いかかる。
今世紀中盤から世界の人口は100億人に近くなる。それだけの人口を養うだけの食料は、もはや陸地では賄えない。20世紀の食糧飢饉の際、アフリカの民はただ茫然と飢え死にするしかなかった。
しかし、幸か不幸か現在のアフリカはある程度経済成長している。ソマリアを見れば分かる。農地も産業もないが、武器だけは潤沢にある。この武器を使って船を襲い、人質をとって金を得ることは、ソマリアでは立派なサクセス・ストーリーである。
砂漠化により農地を喪いつつあるアフリカだが、地下資源を売り払い資金はけっこうもっている。その金で武器を買い、船を買い、海に乗り出して海賊をしているぐらいである。食料がなくなれば、魚だろうがクジラであろうが食べられるならとっ捕まえろ。そうなることは目に見えている。
その時、日本は堂々捕鯨先進国としてクジラの捕まえ方、食べ方を教えてやればいい。もちろん、可愛いクジラちゃんの保護にやっきな欧米は反発するだろうが、飢えた胃袋の前には抗しえない本能を御することなぞ出来やしない。
ところで、クジラって美味しかったっけ?実は給食でしか食べたことがない。肉ならなんでも美味しい年頃だったので、気にしていなかったが、今にして思うとそう美味い肉ではなかった気がする。
クジラ肉愛好の方には申し訳ないが、しばらくは日本近海物のクジラで我慢していただくしかあるまい。
でも、多分裏道があると思う。国連なんて気にしないどこぞの国に捕鯨船を第三国経由で売り払い、クジラを獲らせて輸入しちゃえばイイだけ。少し高くなるだろうが、希少ものってことで納得すればいいだけ。
まァ、私は食べないと思いますがね。