ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

馬力

2019-02-21 16:07:00 | 日記

馬の話が続きます。

自動車のエンジンの出力を馬力で表示することがあります。私は長いこと、馬力とは馬一頭の牽引力を示したものだと思い込んでいました。ところが、wikiによると以下のとおり。

>馬力(仏馬力)horsepower 荷役馬。当初の1馬力。 由来 名前の通り、元々は馬一頭が発揮する仕事率を1馬力と定めたものであった。1馬力は輓馬(荷を引く馬)が継続的に荷を引っ張る際の仕事率を基準にしており、単純に「馬の最高出力=1馬力」を表すわけではない。全力で加速しているサラブレッドは、実際には数十馬力もの脚力を出しており、人間でも100メートル走などにおける瞬間的な最大出力では1馬力程度の力を出すことができる。馬力という単位は、ジェームズ・ワットが蒸気機関の能力を示すのに、標準的な荷役馬1頭のする仕事を基準としたことに始まる

・・・なるほどねぇと思うと同時に、知ったつもりでいたことが、実は違っていたことに驚きました。ただ、以前にも書いたと思いますが、この馬力の語源となった馬は、我々がTVなどで目にするサラブレッド馬ではありません。

サラブレッドという馬種は、金持ちの娯楽としての馬の競争競技である競馬に勝つために、品種改良して産まれた特殊な馬です。短距離を高速で駆け抜けるという競技のために、何世代にもわたり慎重に改良を重ねたものです。

そのせいか、馬本来の使い方、すなわち荷役や耕作などに使うには不向き。もっといえば、貧弱すぎてすぐに故障してしまうでしょう。

私が仕事上で、馬主の申告を請け負うことがありました。だから知っています。サラブレッドの大半は、故障などで引退することを。そして引退すれば、ほとんどの馬は、馬喰(ばくろう)さんに引き取れれて処分されてしまいます。

多くは解体され、食肉とされる他、皮製品にされたり、肥料などにされると聞いています。天寿を全うするサラブレッドは、ほとんどいないのです。

産業革命により動力機関が実用化されるまで、馬は重要な運搬手段でした。戦争では高速機動を活かしての騎馬隊として活躍し、平時には荷物を牽いて物流に大きく貢献してきた生き物です。家畜と称される生き物のなかでも、牛や豚、羊と並ぶ重要な役割を担ってきたのです。

本来は非常にタフな生き物であり、簡単に足を故障するようなやわな生き物ではなかったのです。

競馬場で疾駆する馬の姿は、勇壮である以上に美しくもあります。でもあのサラブレッド馬の姿は、人間の欲望により捻じ曲げられた造形なのです。毎年、確定申告の時期になると、申告に必要な資料のなかに馬の処分に関するものを見ないことはありません。

仕事ですから、なんも言いませんけど、なんとも寂しい気持ちにされられます。

きっと、本当は競馬場ではなく、広大な草原を疾駆したいのでしょうねぇ。

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騎馬軍団

2019-02-20 11:55:00 | 日記

今月の三連休は、家にこもっていた。

その直前、金曜日の夜は帰宅が遅かったのだが、あの晩は冷えた。あまりの寒さと、溜まっていた疲労のせいか夜半から頭痛がして、翌朝には頭が重く感じられた。

発熱はたいしたことがなかったので、インフルエンザでないことは分かった。多分、風邪であったと思う。時期が時期だけに、ここは慎重を期して徹底的に静養に努めることにした。それゆえに家にこもっていた次第である。

ただそれほど激しく体調を崩した訳でもないので、けっこう暇であった。暇にまかせて、CS放送のヒストリーチャンネルを見ていたら、武田信玄のドラマを放送していた。

そのドラマのなかで、武田の騎馬軍団が勇壮に描かれていたが、私はいささか疑問に思っている。戦国時代の馬は、現在の馬に比べてかなり小型で、甲冑を着た武者が騎乗すると、人が歩くよりも少し速い程度の速度しか出せない。

ただ、人間よりは持久力があるので、騎馬兵が弱い訳ではない。実際、武田の騎馬軍団は、戦場において活躍したのも史実ではある。ただ、数はそれほど多くない。要所、要所に投入された遊撃隊であったのが実態ではないだろうか。

数が多くないのは、馬が人間の8倍、糧食を食べるからだ。もちろん水も大量に飲む。多数の馬を維持するのは、経済的負担が非常に大きい。武田は、日ごろ木曽馬を農耕馬として各農家に置いて於けたので、ある程度の数を維持できた。

でも、多数の馬を戦場で駆使するのは、兵站面で非常に負担が大きかった。このあたりの事情が、大陸で活躍した遊牧民族率いる騎馬軍団との根本的な違いである。

もう一点、大きな違いがある。日本に於ける騎馬兵は、主に槍や長刀などを駆使して戦場を駆け抜けた。しかし、モンゴルやウィグルなどの遊牧民族の騎馬兵はまるで違う。

遊牧民族の騎馬兵の武器は弓である。扱い易い軽装備であり、長距離射程の弓で、高速移動が可能な機動力を活かした戦法で、大陸を駆け抜けて、恐れられた。

重い鎧をまとい、槍や長刀などで戦う日本やシナ、西欧の騎士とはまるで違うのが、遊牧民族の騎馬軍団であった。この軽装備の遊牧民族の弓兵こそが、騎馬軍団の本来の戦い方であろう。

なお、日本の馬は小柄なので騎馬戦闘に不向きとの説もあるが、これは誤解である。現在、我々がよく目にする大型の馬は、サラブレッド種である。この大型馬は短距離を高速で走ることに特化した改良馬である。

なので、武具をまとった兵士を乗せて長距離を疾駆するような真似は出来ない。実際、チンギスハン率いる騎馬軍団の馬も、ナポレオン率いる騎馬たちも、原産のアラブ種で、日本の木曽馬と体格はあまり変わりはない。ただ駆使する戦法が違った。

TVの歴史ドラマが史実に忠実である必要は薄く、面白ければ良いので、これ以上ケチを付けるのは止める。まァ、確かに大柄なサラブレッド種で重い鎧をまとった武士のほうが映像的に映えるのは確かですから。

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官房長官の不満

2019-02-19 11:55:00 | 社会・政治・一般

私が政治や社会問題に関心をもったのは、小学生の高学年になった頃だ。

きっかけは、当時熱心に通っていたキリスト教の集まりで、大人たちからいろいろな話を聞いたことであった。早く大人になりたかった私は、この手の政治談議、社会問題啓発などに大いに影響を受けた。

当時はまだ社会主義が、人類の至るべき目標としての輝きを失っていなかった。だから社会主義と、その先の共産主義は若い人たちから絶大な支持を受けていた。そんな若い人が周囲に沢山いたので、無知で未熟な子供の私は、これこそ私が求めるものかもしれないと熱い期待を抱いたものだ。

ただ幼少時に米軍基地の近くで育ち、傲慢な白人の子供たちと触れ合って(というか、組み付き合い、殴りあって)いた私には、どうしても彼らの主張する反戦平和には納得できずにいた。

日本人を冷然と見下す白人の目を知っていたので、彼らと対等に平和を話し合えるなんて信じられなかった。「話せば分る」より先に、とりあえず殴りあっていた私には、喧嘩に勝って優位な立場で交渉するほうが得だと肌で知っていた。

だから大学の講堂や、公民館の会議室で誇らしげに語られる麗しき反戦平和の主張に、どうしても馴染めずにいた。理想は分かるけど、現実に殴りあっている(戦争をしている)連中に、話せば分るなんて通じるはずのない道理だと思っていた。

でも黙っていた。まだ小学生の私には、大学生のお兄さんたちに反論する術を持たなかった。反論すれば、その場に居ずらくなることぐらいは分かっていた。早く大人になりたかった私にとっては、その場にいることが大事だった。だから黙っていた。

納得はしていなかったが、私は彼らを嫌ってはいなかった。みんな優しいイイ人だった。弱い人への労わりの気持ちと、過酷な現実に対する怒りの目線を持つ彼らは、私にとっては十分慕うに相応しい人たちだった。

転校先の小学校でいじめられたり、迫害されたりして、いささか人間不信の気があった私が、はじめて見つけた私の居場所であった。ここを離れたくなかったからこそ、黙って不満不信を押し殺すことが出来た。

断言するけど、私が子供から大人になる途中において、あのような安定した環境があったことは、非常に重要であったと思う。以前書いたことでもあるので、省くが、高校生の頃には他に安定した人間関係を築けるようになったので、私はこの教会の集まりから離れた。

離れる際も、喧嘩したり、口論したりするようなことはしなかった。黙って消え去ったのは、彼らのことが好きだったからだ。みんなイイ人だったんだ。

あれから30年以上経つが、今でも彼らはイイ人だったと思っている。同時に、イイ人だったからこそ現実が見えていなかったのだと分る。

イイ人は自らがイイ人であることを強く自覚している。自分が正しいと確信している。だから、その正しさを揺るがすような現実から目を逸らす傾向が強い。

もっと言えば、自身の言動、信念を省みることをしない。ひたすら斜め上に輝く理想に向けて邁進するばかりで、振り返ってその道が正しかったを検証することをしない。

そんな典型が、東京新聞の望月記者だと思う。管・官房長官が記者会見の場から排除したがっている某記者とは、間違いなくこの望月記者だろう。

もっとも官房長官は、この人を記者だとは思っているまい。記者に値しない人物だと思っているのだろう。

民主主義社会においては、権力を看視し、有権者にその実態を伝えるマスコミは必要不可欠である。だからこそ政治家の記者会見は自由であるべきなのだが、この望月記者はあまりに政治的に歪んでいて、それが不愉快なのだろうと思う。

管官房長官の不満は分かるというか共感さえ出来るのだけど、そのような不愉快なマスコミは排除するのではなく、公開するのがベストです。あの記者の質問と言う名の誹謗を見て、それに賛同する有権者は少ないと思います。

排除ではなく、堂々公に曝してやるのが王道だと思いますよ。

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銀の世界史 祝田秀全

2019-02-18 11:54:00 | 

現在、私たちが日常的に使っているお金は、不兌換通貨である。

人類が物資の交換に通貨を使うようになって数千年である。初期の通貨は、貝や巨石が使われたりしたが、次第に貴金属に替わっていった。なかでも銀貨こそが、人類の歴史で最も長く使われた通貨である。

だが、産業革命と西洋によるアジア、アフリカの侵略により、人類の経済圏は飛躍的に拡大した。希少な貴金属では、もはや通貨としては足りなかった。そこで考え出されたのが兌換紙幣である。

20世紀初頭までは、先進国では紙幣は金や銀に換金できた。金や銀が通貨の信頼性を担保していた。しかし、経済が拡大して、使用される通貨量が飛躍的に増大した結果、金や銀で担保できる規模を超えてしまった。

だから現在、流通している通貨は、政府が保証する不兌換通貨である。政府が保証するといっても、その政府に信用がなければ意味がない。その信用の根拠とは、単に経済的に裕福であることではない。

現在の基軸通貨であるドルは、アメリカ政府の政治的な立場こそが担保である。すなわち覇権国であることだ。覇権国であるからこそ、経済でも主導的な立場をとれる。そして覇権国であるためには、軍事力こそが絶対必要な条件となる。

アメリカは軍事大国であるがゆえに政治的に覇権国であり、経済的なイニシアティブをとれる。しかし、軍事力というものは、ただひたすらに資源を浪費するものであり、過剰な軍事力はむしろ国の力を損ねる。

だからこそ、経済力が重要視される。経済の裏付けのない覇権国なぞ、短期間で終わってしまう。経済という視点なくして、人類の歴史は語れない。

黄金の国ジパングと日本が呼ばれたのは、中世から近世において日本が銀の大輸出国であったからだ。中米メキシコのボゴタ銀山と、日本の石見銀山は、中世から近代にかけて世界中を駆け巡り、新大陸への侵略と、アジア侵略に大いに寄与した。

もっといえば、銀の流れの理解なくして、ヨーロッパの侵略と産業革命は理解できない。銀貨がいかに人を動かし、社会を変貌させ、歴史を動かしてきたのか。それを知るだけでも、本書を読む価値はあると思います。

日本では日清戦争により得た多額の賠償金が、日本の近代化に大きく貢献したことは、歴史教科書にも書かれています。でも、その賠償金が、銀貨でもなければ金貨でもない。日本が獲得したにも関わらず、ロンドンの銀行に入金されていたことは、この書で初めて知りました。

あの時代において、日清戦争の賠償金は異常なほど巨額でした。なぜにあれほど巨額であったのか、またその資金は、本当は何に使われたのか。これを知るだけでも、お金が如何に世の中を動かすのかが分ると思います。是非ご一読を。

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ポトフ

2019-02-15 15:38:00 | 健康・病気・薬・食事

この冬の私のマイブームは、ポトフ!

といってもナマケモノの私のこと。簡単なポトフしか作らないというか、作れない。

用意するのは、手羽元とセロリ。

ホーロ鍋に水をたっぷり入れて、そこへ手羽元を、ほいっと放り込む。鶏肉の臭みを消すためにセロリの茎を刻んで入れておく。火にかけて20分ほどで、表面に灰汁が浮かぶから、これは丁寧に取り除く。

灰汁が出なくなったら、そのまま小一時間煮込む。ここで基本の味を決める。一旦火を止めて、塩と胡椒で味を調える。この段階では、うっすら塩味程度で十分だ。

手羽元の様子を見て、肉が骨から離れだすくらいまで煮込むのが理想だけど、これは時間がかかる。これは、後のお楽しみとしておく。

とりあえず、ニンジン、ゴボウを先に煮込む。柔らかく煮えてきたら、カブや葉物を入れて少し煮詰めて出来上がり。実に簡単なのだが、時間がかかるのが難点。でも、寒い台所は美味しい匂いが立ち込めている。

欲張りな私は全部食べきったりはしない。翌日に残しておく。私はなんでも食べるが、同じものを続けて食べるのは大嫌い。なので、翌日は茶碗一杯分を取り出して、別の鍋に移して煮込む。

この時は、味噌仕立てにする。前日に塩を使っているので、味噌は控えめで十分。気を付けないと、塩分取り過ぎになるから注意だ。

まだ残っているのだが、我儘な私はこれを容器に移して凍らせてしまう。いくら味付けを変えても、同じものを食べるのは嫌なのだ。でも、数日後には解凍して、使い切る。

これは、コンソメで味付けを変えたり、時には、白だしを入れて、和風にしてしまうこともやる。だって、おでんだって、あれは和風ャgフである。手羽元の骨から美味しいスープが出ているので、味付けを変えればいろいろと楽しめるのが嬉しい。

ちなみに手羽元を使うのは、地元に鶏肉専門の肉屋さんがあるから。ここの鶏肉は店で解体処理していて、とても美味しいのです。店主がたまに鳥撃ちに行くようで、冬になると合鴨も店頭に並ぶのですが、これは人気で滅多に買えないのが玉にきず。一度、合鴨で作ってみたいですね。

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