誰が何を言おうと自由である。
それは分かるが、ホリエモンとかヒロユキとか、どうも良く分からない。どんな立場で発言しているのか、さっぱり分からない。だが、それなりに一時代を築いた人物だけに偶に良いことを言う。
この人たちを取り上げるのは、既存の記者たちの記事が読者の関心を惹かない現実に悩むマスコミなのだが、ホリエモンにせよヒロユキにせよマスコミの意図通りには発言しない。
しかしそこはプロである。彼らの発言を自在に切り抜いて(報道の自由だもんね)、如何様にも報じてみせる。だが微妙な違和感はどうしたって漏れてくる。
その典型例が沖縄・辺野古の反基地デモに対するヒロユキの発言であろう。
当初から妙なニュースだと思っていた。辺野古の反基地座り込みを見に行ったヒロユキ氏だが、誰もいないのを見てそれをネット上に報じたら、たちまち反基地運動を支援している沖縄のマスコミや知事、その他左翼関係者から反発を喰らった。
その反発の内容がおかしい。沖縄の実情を分かっていないとの反発はともかく、ヘイトスピーチだとの報じ方には違和感を感じた。私の憶測ではあるが、ヒロユキ氏は曖昧に匂わせるような発言をしている。
曰く「文法がおかしい」とか「正論が通じない」とか発言しており、私は即座にこの発言は反基地運動に参画しているコリアの人たちを指しているのだろうと推測した。
ところが沖縄のメディアは見事にこの部分を無視し、あたかもヒロユキ氏が沖縄を差別しているかのような報道に加工して報じた。以前から沖縄の反米軍基地運動にシナやコリアの人たちが参加していることは知る人ぞ知る事実である。しかし、このことを隠したいと思っていることがバレバレの情報操作である。
沖縄のマスコミ、特に琉球新報や沖縄タイムスが偏向報道をしているのは有名だが、ある意味分かりやすい情報操作なので、むしろ逆効果ではないかと思う。実際、沖縄の人たちからは必ずしも支持されていない。
そりゃ公道部分に違法に建造物を設置すれば、その道を使う人たちは迷惑なのは当然だ。それを報じてしまったヒロユキ氏を非難するのだから性質が悪い。どうやら事実を報じられるのは、ある方々には望ましくないようだ。
滑稽なのは、このような情報加工は既にバレていて、むしろ沖縄のメディアの異常さが露呈してしまっている結果になっていることだろう。
中村俊輔が遂に現役引退を表明した。
私にとっては、日本人選手で初めて金を払ってでも観に行って良いと評価していた選手であった。
でも決して天才ではない。尋常ではない努力をしたスタープレイヤーでした。元々はマリノスのジュニアチームにいたけれど、シニアへの昇格は叶わず、当時はまだ無名だった高校へ進学。チームを高校サッカー選手権へと導く活躍が評価され、マリノスとプロ契約。
デビュー当時の俊輔は、高校生離れしたドリブラーで、大人の選手たちを華麗なドリブルで翻弄するプレーは唖然とするほででした。ロングパスにも長けていて、ロケットパスの異名をとったものです。
同世代にはあの小野や遠藤、小笠原と優秀なミッドフィルダーが数多いましたが、誰もがライバルとして認める最高の選手であったと思います。でも決して天才ではない。
痩身の身体では外国人の圧に押される弱点を、体幹を鍛えることで克服する。あの得意のフリーキックは、足だけでなく全身の捻りを加えることで、より威力を増すのですが、おそらくこれは俊輔の独自の研究から練られたもの。
試合前は誰よりも早く会場入りして念入りにウォーミングアップ。そして試合後も個人練習を済ませ、身体をクールダウンしてから会場を去るといった徹底的な身体管理。
彼が最も輝きを放ったスコットランドのセルティック時代、俊輔のトレーニングスタイルは、若手やジュニアの選手の生きた見本として知られていた。彼の残した実績があるからこそ、現在セルティックには4人の日本人選手が活躍している。
チャンピオンズリーグでマンU相手の伝説のフリーキックは世界的にも有名であり、ある意味中田英、小野伸二以上に評価された選手でもある。ただ唯一恵まれなかったのがワールドカップ。二大会に出場していますが、あれほどの才能を持ちながらも、中心選手ではなかった。
怪我や戦術不適合、チーム内の不協和音など不運すぎる条件が重なり、ワールドカップでは目立った結果を残せていない。でも私は忘れない、俊輔がいたからこそ3大会連続で予選を勝ち抜けたことを。
そして中国やUAEで開催されたアジア杯での活躍と優勝。セルティックが宿敵レンジャーズを破った際のスーパーミドルシュート。コンフェデ杯でブラジルの度肝を抜いたシュートは正にスーパースターの輝き。
私の夢は俊輔が日本代表監督として日本に賜杯をもたらす日が来ることです。まァ後、20年はかかると思うので生きて視ることは叶わないかもしれませんけどね。
文明の進化は、人間を弱体化させた。
少なくとも1万年以上前の人間は、野生的な強さがあったはずだ。現在の人間がほとんど失った強さである。
私がそのことに気が付いたのは、20の頃だ。大学が夏休みで、クラブの合宿も終わり、バイトも入れなかったため、久々に東京西部の高尾山近くの里山にカブトムシを取りに行った時だ。
イイ年して虫取りなんてと思うだろうが、角の形の良いカブトムシは結構な値段が付く。近所の児童館で子供たちに売りつければ、案外と稼げるものだと知っていた。ペット店で売られているカブトムシは、大半が養殖もので、色は奇麗だが、正直あまり逞しくない。その点、野生もののカブトムシは、やはり力強い。
カブトムシを獲るのは、やはり夜が一番だ。昼間のうちに樹の蜜が出る場所をチェックしておき、夜半に行けば虫たちが集まっている。もちろん昼間の時に、蜂蜜を固めた奴を塗りつけておいた効果でもある。
その時は天候に恵まれ、月夜であり、懐中電灯が不要なほど明るい夜であった為、少々油断した。3匹ほど見目形の良いカブトムシを捕え、もう少し欲張ろうと奥深くに入ると、木の根に躓いて転倒。その際、懐中電灯を壊してしまった。
少し傾斜がきつい箇所であったので、うかつに動けなくなった。参った、丑三つ時の里山はライトがないと漆黒の闇である。折悪く月も雲に隠れて、文字通り暗闇で動きが取れなくなった。
こんな時はむやみに動いてはいけない。その場に座り込み、後3時間で夜明けになるのを待つことにした。白状すると、けっこう怖かった。暗闇のなかで動く気配を感じるし、正体不明の鳴き声も聴こえてくる。誰かに、いや、何者かに見られている気がして、どうしても怯えてしまう。
それでも、じっとしていると暗闇にも馴れてきたので、なるべく柔らかい地面を探して横たわり朝を待つ。恐怖心は抑えらえたが、困ったのは寒さであった。まだ8月の半ばであり、決して寒い訳ではない。ただ汗が引いて身体が冷え、夜風が少しずつ体温を奪っていく。Tシャツの上にポケットが沢山ついた綿布製のベストを着ているだけなのが悔やまれた。
東の空が明るさを増すと、寒さに耐えきれず私は動き出して下山した。もう虫取りどころではない。早朝の始発列車に飛び乗り帰宅した。その頃にはもう既に寒気がして、夏風邪を引いたことは明白だった。
わずか数時間の野外での休憩で風邪を引いてしまうのだから情けない。やはり屋根と壁のある家がないと、人間は暮らせないのだろう。おかしなもので、氷河期時代、人類は狩猟や木の実などの採取生活を送っていたため、一か所に定住できず、各地を放浪としていたらしい。
ただし、洞窟や簡易的な構造物を作って寒さを凌いでいたが、それでも風雨のなかでも逞しく生きていた。氷河期が終わり温暖化が進むと、農業が可能になり、一か所に定住しての暮らしが可能となった。そうなると快適を求めて頑丈な家屋を作るようになる。
かつては野山に寝て暮らしていたはずの人類は、今では家という文明の利器がないと暮らせないほどに弱体化した。しかし今も野外生活を送る人類はわずかだが実在する。南米のインディオやオーストラリアのアポリジニ、アフリカのピグミーなどが有名だ。
そして信じがたいことに北米大陸にも実在していたらしい。インディアンの生き残りではなく、白人たちが自ら求めて文明社会を捨てて、野外での生活を求めた結果であり、20世紀には確かに存在して幾つかの事件を起こしている。
そんな野性生活を送っていると思われる人たちを題材に扱った作品が表題の書である。映画化もされているのでご存じの方もいるかもしれない。私は映画こそ見ていないが、原作は読んでいた。なにしろキングが絶賛したケッチャムである。
ホラー作品なのだが、どちらかといえばカルトの匂いが濃厚で、下手なモンスターより怖い、あるいはおぞましい人間が出てくる。女性に平然と暴力をふるう紳士然としたDV男も、この野生のモンスターの前では子羊同様である。
率直に言ってヒーロー役の元保安官も、この野生のモンスターの前では影が薄い。だからケッチャムの代表作とは言わない。でも、このおぞましさと不気味さは読む価値あるかも。まァ、ホラー系のミステリー好きなら楽しめると思います。
国破れて山河あり。
河野デジタル化推進大臣を始めとして、自民党の政治家にはよくよく考えて欲しい。国民は政府の制度のために存在しているのではない。政府が国民のために存在している、それが民主主義国家であるはずだ。
ところが霞が関と永田町のお偉方は、この民主主義の大原則が分かっていない。どう言い逃れしようと、マイナンバー制度は国家が国民を一元管理するためのもの。
私はそれを完全に否定する気はない。縦割り行政の弊害は嫌というほど見てきたので、うまく活用して欲しいと思っている。つまり基本的には賛成なのだが、今のやり方には反対だ。
まず第一にマイナンバーカードの利便性とは、国民の為の利便性ではなく政府が国民を管理するための利便性である。どう言葉を言い繕うと、これが本質であることは間違いない。
現時点でマイナンバーカードを持つことのメリット(印鑑証明とか住民票とか)は僅かなもので、あまりに普及しないので2万円のニンジンをぶら下げたが、それでも普及率は5割程度である。
今後、保険証の替わりになると言っていたが、呆れたことに病院や診療所が拒否している。当然である、誰がその費用負担をするんだ?要するに総務省が旗振れど、他の官庁が素直に従っていないのが実情である。だから根回し不足、説明不足の悪しきトップダウンの典型となっている。
コロナ禍での10万円配布にマイナンバーカードをとって付けたが、却って大混乱となった醜態を真面目に反省していないことが良く分かる。誰も証明したがらないとは思うが、あの騒ぎで却って感染者は増えたと私は思っている。
現場を考慮しないエリート様の先走りに他ならず、現場経験の浅い勉強エリートは机上のプランを実施するための知恵と経験が不足していることが良く分かる。ついでだから加えておくと、マイナンバーカードと通名の問題はどうするのかね。マスコミ様は無視なさっていらっしゃるけど、必ず政治問題化すると思うぞ。
でも、まったく反省しないエリート様は、なんとか自分たちの正しさを立証しようとして、必死でマイナンバーカードに国民管理機能を強化させようと必死である。健康保険に加えて自動車免許もマイナンバーカードに統一すると鼻息荒い。
その尻馬に乗っているのが河野デジタル化推進大臣なのだが、この人自分を客観視するのが苦手らしい。猫に鈴を付ける役割を押し付けられていることに気が付いていないらしい。
日本は高齢者大国である。現在でも3割の有権者は高齢者であり、高齢者ほどデジタル化を喜ばない。欧米ではIT化が進んでいると不勉強なマスコミが、官僚に媚びうるが、IT化を拒否する、あるいは使いこなせない高齢者の存在がいることは無視している。
日本だってそれは同じこと。おそらくマイナンバーカードを失くしたり、盗られてしまう高齢者が続出すると思う。写真で判断できると甘く見ているようだが、指紋認証や声紋認証、眼球認証などを付加しないとナリスマシが出る事は間違いない。
また紛失した高齢者が役所で騒ぐことも間違いない。なにせカードがないと当人が出向いても肝心の立証する他の身分証明書が存在しない。今までならば、健康保険証や自動車免許証が本人確認に使われた。しかし、マイナンバーカードに一本化した場合、そのカードを紛失したら本人確認をどうするのだ?
役所の窓口で怒り狂う高齢者の姿が目に浮かぶようだ。この高齢者たちの不満は選挙で自民党を不利にさせる。この時、犠牲として捧げられる一人が河野デジタル化推進大臣である。
この人、親父のような卑劣漢ではないと思うが、猪突猛進の愚者であると私は考えています。
弁護士大国と云われるアメリカのいて税務訴訟は、弁護士の稼ぎ所である。
アメリカには日本のような税理士制度はない。エンロールドエージェント(EA)はあるが、訴訟が出来ないし、独占資格でもないため、米国公認会計士へのステップアップの位置づけだ。
一方、日本において税務訴訟は弁護士の鬼門とされるほどに行政府側有利である。なにせ裁判官も弁護士も税法を本格的に勉強していない。実際の税務訴訟では、国税庁から派遣された税務訴訟専門家が裁判官の脇に座り、裁判官はもっぱらこの人の意見ばかり窺っていた。
私の師匠のS先生は、ある税務調査でも揉めた時、顧客がどうしても納得せず、やむなく税務訴訟で高裁までいった事案に関わったことがある。S先生の予想どおり原告敗訴に終わり、国税速報にS事務所の名前と共にその敗訴の詳細が報じられてしまった。
私もこの訴訟記録を読ませてもらったが(もの凄い量だった)、裁判官も弁護士も税法及び会計に疎いと云わざるを得ない結果であった。守秘義務があるので詳細は書けないが、敗訴の原因の一つは弁護士が減価償却における法人税法と所得税法の違いを理解していなかったことだと私は考えています。
税務訴訟における納税者側の不利については、税理士会でもしばしば話題に上がっていましたが、当時税法に通じている弁護士は数名しかいなかったのが実情でした。いずれも親が税理士で、実際に税理士事務所での勤務経験があったがゆえに、税務訴訟に強かったのだと思います。
でも、それで納税者勝訴の判決の出る割合は5%程度です。民事や刑事と比べてもあまりに国家側が有利すぎます。ここに目を付けたのが、当時日米の貿易問題に関わっていたアメリカでした。
WTO/GATTの勧告によりアメリカの弁護士が日本の法曹界に入り込むようになると、徐々にですが税務訴訟の数も増え、納税者側勝訴の判決も増えてきたのです。
もちろん某H裁判官による努力もありますが、この方の名前を出すのは控えます。かなりやっかまれたと聞いているので、迷惑をかけたくないからです。
話を戻すと、現在は大手の会計法人などが税務訴訟専門の税理士を育成したりして、だいぶ状況は変わってきました。これに過敏に反応したのが財務省及び国税局です。
従来の現場での税理士と税務職員の話し合い重視路線に限界を感じ、やたらと税法及び施行規則、通達などを詳細に明文化して訴訟に耐えうる仕組みを構築しようとしたようです。
ただ現時点では、この詳細化路線は却って現場を混乱させているのが実情でしょう。全てを否定する気はないのですが、まだまだ現場知らずの稚拙な細分化、詳細化が目立つと私は判じています。
しかしながら、この路線は当分続くとも考えています。アメリカの弁護士だけでなく海外の事業家が日本での活動を増やしてきている以上、日本的な曖昧さが通用しなくなっていく現実に対応せねばならないのは必然です。
決して口外はしないでしょうけど、国税当局も不安なのだと思います。だからこそパブリックコメントで改正税法について意見を求めるなんて従来にはないことをやり出したのだと推測しています。
その意味で先週、民間からの意見を尊重して300万円基準の適用を止めたことは、十分評価するべきだと考えています。
でも、このような事態に税務署を追い込んだ民間のコンサルたちの節税プランには、正直私は好感をもっていません。あれはやり過ぎだと思うので。
令和4年段階で、サラリーマンなど給与所得者に最も有効な節税は二つだと私は考えています。一つは医療費控除、もう一つはふるさと納税です。
少しお堅い話が続き過ぎたので、これで今回は終わりにしますが、二つの節税手法については、いずれ書き記そうと考えております。