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入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’19年「冬」 (16)

2019年01月16日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 この呟きを読んで、折に触れ通信してくれるのが赤羽さんである。最近は二日続けて届いたが、冬の山に惹かれているらしい。昨日のには、「種平小屋便り」(以下「便り」)を読んで、仙丈に関心を持ったと書いてあった。「便り」を発信しているのは、この独り言にも時々登場する法華道の赤坂口にある種平小屋だが、小屋主の夫婦はなかなか渋い山行をしていて、お蔭で眠らせてある山への思いを時に刺激され、覚まされることもあるほどだ。
 早速、その便りを開いてみたら、長谷の杉島から小瀬戸方面に通ずる、現在は車では通行できない林道が紹介されていた。流石である、というのが読後の感想。三峰川に沿った林道をもっとさらに奥の奥まで行くと、「巫女淵」という古い言い伝えの淵がある。「便り」では杉島から20キロとしていたが、そのくらいはあるだろう。途中の「戸草谷」にはダム工事が中断放置された場所があり、崩落が絶えないので車輛の通行は禁止されるようになったと聞く。巫女淵の手前にもゲートがあるが、以前はここまで車で行くことができた。その少し先右手に塩見岳に至る登山道が始まる。三峰川はこの辺りから大きく曲がり、さらに上流へと向かい仙丈岳の裾に至るが、その源流は行ったことがない。ただ、杣道もどきはあったとしても、仙丈岳に通ずる登山道があるとは聞いたことがない。
 南アルプスの深山を体験するにはいい場所で、それで何度も行ってるが、確かにかなり遠い。

 ついでに「巫女淵」の話もしておこう。長谷の杉島から三峰川を渡り西側の林道を登っていくと、山の中に「浦」という古い集落がある。平家の落人だったとされるが、その縁のあった人たちが住んでいたことはほぼ間違いないらしい。平家残党の中には巫女だか白拍子のような身分の女性もいたらしいが、都から遠く離れた山中で落人の身となっては、もはや昔の栄華も夢のまた夢・・・、遣えることもかなわなくなった主人と別れ、絶望の果てに身を投げたというのがこの淵、以来「巫女渕」と呼ばれるようになったと伝えられる。
 それにしても、浦からここまではあまりに遠く、女の足ではさぞかし大変だったろう。かつては「巫女淵信仰」などと呼ばれて遠路山中を訪れる人もいたようだから、この口碑もまんざら架空の話というわけではないかも知れない。

冬の営業案内」をご覧ください(下線部を左クリックしてください)。予約は早めに頂ければさいわいです。





 
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