
Photo by Ume氏(再録)
横綱の稀勢の里はまだ32歳であった。力士のみならず運動選手の寿命は短いものだと思う。
ただ、登山家に関して言えば、30代は最も油の乗るころではないだろうか。いやむしろ、これからだとさえ言える。技術も、登攀の対象も、より高度化しているのは他のスポーツ競技と変わらないだろうが、それでも登山はその人次第だが、長いと思う。過去の実績で、山案内人として「その後」を続けている人も少なくないから、現役とか引退がはっきりとしないせいもある。また、その必要もなければ、求められもしない。唯一現役の終わりがはっきりしているのは、山で死んだ時だけだ。
そもそも登山家と登山者の境界すらもよく分からない。一応、登山を職業として生活している人たちのことを指すとしても、例えば単なる山案内人では不充分で、かなりの登山実績を持った"一流"と目された人でないと「家」は付かないかも知れない。もし、そうなら、山の世界における「登山家」とは、言わば称号のようなもだと言える。もっともその称号が冠せられる時は、良くない場合の方が多い、という気がしないでもない。
登山が職業なら、本人が納得してやっていることだからいいのだが、それにしても社会的、経済的には報われることの少ない職業ではある。若い歌うたいや芸人、あるいは他のプロスポーツ選手と比べたら、全く比較にならない。人を楽しませ、いかに喜ばせるかによって、そういう人たちの報酬は決まるのだろうが、あの人たちは生命まで取られるようなことはない。しかし登山は、一流であればあるほど、先鋭を目指せば目指すほど、その代償に、死を求められることも覚悟しなければならない。そう過去の例が教えている。
一昨日、エベレストの南西壁とローツェの南壁の登攀に成功した日本人登山家のことに触れた。あれは、偉業も偉業、大偉業。あの超人と言われたメスナーをしても、当時は次の世紀である「21世紀の課題」だと言わせたほどの壁がローツェ南壁である。
その登山家、田辺治氏は、報告会でだったか「これからは身の丈に合った登山をしたい」と言ったようである。その彼もしかし、ヒマラヤのダウンラギリ峰の雪の中で、永遠の眠りについたと知った。事故は2010年、氏は49歳だった。ローツェの成功から4年ぐらいしか経過していない。
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