
Photo by Ume氏
さすがに1000㍍も低い里に下りてくれば入笠とは違い、辺りには郷の晩秋がまだ色濃く残っていた。庭先のモミジは葉を散らさずに家主の帰るのを待っていてくれ、荒れ放題の庭や畑にも緑の色が残っていた。そんなせいだろうか、陋屋の荒廃した雰囲気も少しだけ穏やかに見えたような気がした。
もっとも、先週種平小屋夫妻が来た時はまだ緑の葉が残っていたはずだが、たった1週間の間にすっかり柿の葉は落葉してしまい、実の熟し加減でも探るのか椋鳥がやって来て、ひとしきりその鳴き声が聞こえていた。しかし、まだついばむには早かったのか群れはすぐに立ち去り、柿の木は色の消えた空に重そうにたくさん実を付けて、老いた人のような姿を虚空に晒していた。
里へ帰ったのは誰かに用事があったからではなく、実際、誰にも会うことはなかった。荷物を受け取るのが主な目的で、それと冬期用にもう少し灯油を荷揚げしておきたかったのだ。
そうそう、それらに加えもう一つ、風呂にもゆっくりと入りたかった。入浴施設なら富士見に下ればあるが、"入浴中毒"の再発(冗談)を怖れ、できるだけそれは控えている。幸い家で、昨日は2回、そして今朝も1回入ってきた。
風呂に入るのは清潔を目的としたものでも、はたまた健康のためでもない。ただただ湯の与えてくれる快感を求めてであって、まあ晩酌、散歩と似たようなものだろうか。山を下りたら、どこか温泉にでも行くつもりで行先をあれこれと考えているが、「遊子は帰還を忘れる」、そんな所へ行ってみたいものだ。
山は標高を上げるに従い樹木の様相が変わり、上に来たら常緑樹のモミ、赤松、それとクマササや、シダ、コケの類しか緑は残っていないことに改めて気付いた。いつの間にか落葉は進み、里では落葉松の黄金の色を見てきたが、ここではすべてと言ってよいほど葉は落ちていた。それに、目の前の囲い罠の中の草の緑もほぼ消えてしまっていたが、これは2,3日続けて降りた霜のせいだろう。
一夜里に下りただけでこれだけ山の印象は変ってしまった。そして、静けさも一段と深まった。
昨日、鹿嶺から入笠間の往復距離をつい単純に25㌔とした。この距離にはテイ沢、入笠山頂、その周回が含まれておらず、健脚氏の歩いた実際の距離は30㌔を越えていたはず、訂正します。
ところで、「四国八十八か所」となれば、これが40日も続くことになる。ムー。
本日はこの辺で。