入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’21年「冬」(8)

2021年11月10日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 午前3時半、明けるにはまだ早い。昨夜は8時になる前に寝た。7時間半、これだけ眠れば充分のはずだが、ここではそれでは済まないのかもう少し眠れと欠伸が出る。
 上で暮らすと、通勤に掛ける時間が要らなくなる分余裕ができて有難いが、しかし、夕飯を済ませると最早することがない。年齢とか酒のせいで食後に長い時間本を読むことができなくなったし、テレビは余程興味のある番組でもあればだが、やたら吠えたり笑ったりの番組が多くて、似たかよったかの虚構の世界に自分の乏しい時間を消費することには抵抗がある。結局、無為の時間を持て余し寝る。そして夜中に起きて、強い酒を含みながら独り言を呟くわけだ。

   枯れ枝ほきほき折るによし  尾崎放哉

 昨日もまた、深い霧の中で、春先に伐ったまま放置してあったコナシの木の片付けをした。この木のことを「性悪女」などと言ってさんざん毒づいたが、性悪女も枯れれば大いに変わる。あっちに絡み、こっちに絡み奔放で扱いに苦労した細い枝は、ぽきぽき、ほきほき折れて、実に扱いやすくなっていた。
 で、つい、漂泊の俳人と呼べばよいのか、生きる場を失い、小豆島の「南郷庵」で短い一生を終えた偏屈、狷介な自由律の俳人、放哉のこの句を思い出していた。
 ついでながら、これが佳句かどうかまでは分からない。ただし、俳人の数奇異色な境涯が、句に味方してはいると思う。代表句と言われるものには他に「咳をしても一人」などもあるが、評価は分かれるだろう。
 
 今、そんなことを思い出していると、霧の立ち込めた初冬の風情が、そしてそこで過ごした時間が、自己満足に過ぎないが、何とも尊く思い出される。あの小枝も、チェーンソーで伐り分けタマにした太い幹も、やがては腐り、大地に還っていく。自分のしたことが年月を経てそんなふうに自然と同化し、やがて新たな生命の糧となることを思えば、本望の一語に尽きる。
 山の暮らしも、こういう仕事も、相性というものがあるだろう。人との付き合いでもそうだ。15年もこんな仕事、暮らしをしてきたのだから、多分性に合っていたと思う。今年の契約が切れる今月19日までには早くも10日を切った。気温はさらに下がるようだが好天は続きそうだ。晩秋から初冬にかけてのこの時季特有の終末の侘しさ、残光の美しさを感じながら過ごすことにする。
 本日はこの辺で。
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