
また里の暮らしに戻った。上にいればそこが自分の居場所となり、下に帰れば同じくそこがそうなる。そして、ここにいれば上の暮らしは遠くなり、あの6畳の管理人室、水の出ない不便で寒い台所は他人の家となり、逆に上に暮らせばわが陋屋は自分の家ではないように思えてくる。
本妻の家でも、別の女性の家でも、迎えてくれさえすればどちらであれ安気に暮らせる幸福な男がいたが、それと似たような話だ。ただしこちらは妻、愛人の話ではなく住居についてで、いつでもどちらかに愛着を抱いて、同時ということはないとも強調しておきたい。
また脱線するが、最後の将軍・慶喜の話。徳川の世が終わると静岡に二人の側室と住まい、両人に等しく12人、計24人の子種を付けたと以前にも呟いた。戊辰戦争で多くの人々が慶喜及び幕府のために戦い、塗炭の苦しみを味わい、亡くなったというのに、この情けない恥知らずで能天気な瓜面男は毎夜、自分の床の両側にその二人を配して寝たというのだから開いた口が塞がらない。
夜間の襲撃を怖れてとかいう理由もあったらしいが、そうと知れば余計に呆れ返ってしまう。
止まれ、入笠の清浄な白い世界に帰る。きょうは10日、大体1月も中旬になれば例年、雪のために入笠に通ずる林道は車を利用することができなくなると考えた方がいい。さらに2月の15日には猟期が終わるから鉄砲撃ちも姿を消し、あそこは静かな世界に戻る。
「東山(南アルプス)」に属する入笠山と伊那盆地を挟んで反対側の「西山(中央アルプス)」の経ヶ岳は、きょうも吹雪いていて、山容の大部分は雪雲の中である。
この山の入笠と同程度の高さを目途にして牧場や林道の状況を想像したり判断するのだが、どうやら今日は雪のよう。山はまた白い衣を厚くし、遠からず車で行くことができなくなるに違いない。
珍しいことに、年末から今年は鹿の姿を見てない。それでも足跡は幾つも雪の上に残っていたからきっとどこかに隠れているに違いない。その他ウサギ、キツネ、リス、寝付けないクマもいるだろう。
まだいつになるか分からないが、早くも粉雪の積もった山椒小屋跡の辺りで一息ついている自分のことを想像し、その日を待っている。
本日はこの辺で。