
散歩の際、この2,300㍍は車輌に要注意、背後の西山の稜線も歩いた
きょうも特に予定はない。有難い。炬燵の虜囚でいても一日は過ぎていくし、多分そうなるだろう。
巣ごもりの日々、時間を持て余し、早く一日が過ぎて欲しい思ったりすることもある、あるけれども、そんな毎日ばかりだったら、いたずらに「終局」を待つようなもので、限られた寿命、残された時間を無駄にしてしまいかねず、勿体ないと思い直すこともある。
そんなことを何かの機会にTDS君に話したら「いつでもビールや酒を飲める人はいいけれど、普通の人は夕飯時の家族の団欒や、その時の晩酌を楽しみにして働き、一日を過ごすんだゼ」と諭されてしまった。さすが元教育者だ。
確かに今なら、いつ酒を飲んでも誰も文句を言う人はいないし、確かに、家族の団欒などというものは、もうない。
それでも「一日を閉じる祭り」はある。特に上で暮らしている時は、それを楽しみにして働いていたし、今の里の暮らしでもそこへ焦点を置いている、と言ってもよいだろう。
昨日は散歩の前に座り、それから午後の3時過ぎ、外に出た。夜はとろろ汁を作り、出汁が上手くひけて美味かった。つい気を良くしてビールはもう1本余計に飲んだ。風呂には2回入ったし、本も重い内容のものを読み、口直しは毎週楽しみにしているテレビの「剣客商売」だった。
清貧独居禁欲、こうしてみると、どうやらいい一日だったような気がする。
赤羽さん、そうですか。肉は良質のたんぱく質があると承知しながら、今の稼業のせいかあまり食指が動きません。短気を抑えるため、ヨーグルトは頂いています。身体はどこにも痛い、痒いところはなく、食事は丸元淑生先生の教えに習い、出汁に使った昆布は冷凍にしておいて佃煮にし、ゴマか千本しょうがを散らして食べるようにしています。
本日はこの辺で。