入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     24年「冬」(19)

2024年01月24日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

 
 風の強い日だった。久しぶりに散歩に出たが、途中で気が変わっていつもの道を逸れて、子供のころに遊んだ里山の中にある山道を訪ねてみたくなった。「ニジュウデラ」、ここでは橇遊びをよくしたし、もっと大きくなった高校生のころ、鶏を丸焼きにして酒を飲んだこともある。
 
 山道はわずかながら昔しの面影を残していた。ただ、道幅が里山整備で拡幅されたようだが、このままだとやがては手を入れる人もいなくなり、また昔の山道に戻るしかないだろう。
 昔しは声を上げて遊んだ橇遊びのあの坂、あのゆるやかな勾配でよく橇が滑ったものだと思ったりしたが、アカシヤとかナラの木を用い、さらには竹を滑走面にはり付けたり して颯爽と滑った。
 いや、記憶に間違いはない、当時はわれわれ子供の知る橇遊びのできる坂は他に「アレザカ」そして「コウコウザカ」、他に2カ所だけだった。

 坂の下にある親戚の墓地へ寄った。知っている人が7人も埋葬されていたが、多分今後、墓参りをする者などおらず、せいぜいあの日のように気紛れを起こした遠縁の自分と、姉が立ち寄るだけだろう。
 その日は、すでに友人父子と、もう一人の友人の墓を訪れた後で、さらに自分の家の墓にも行くつもりでいた。どうもそうしないと、先祖の誹りを招くことになりはしまいかと案じたのだ。
 
 最近、というかいずれの墓も長いこと夜ばかり訪れ、昼間に行く機会がなかった。暗くて読めるはずのない墓誌など、改めて目を向けることもなかったが、幸いその日は昼間だったから、注意して読むことができた。
 祖父の記憶はなかったが、それも当然で、39歳で没したことを初めて知った。うろ覚えに記憶していた先祖の名前は祖父でなく曾祖父のもので、今ごろになって墓誌が語るわが家の家系を複雑な思いで辿った
 郷土史や入笠山の歴史については多少は知っている。関心もある。ところが、関心がなかったとは思わないが、不思議なことに先祖のことは知らなかった。祖母だと思っていた人はそうでなく、祖母の名は墓誌には刻されていなかった。

 里山の裾野を少し巻くと「アレザカ」があったはずだと、行ってみた。茨や灌木が邪魔をしていたが、構わず進んだ。この坂は名の通りの急坂で、上から下まで一気に滑り下るのは難しく、途中のコブに橇に乗ったまま跳ね飛ばされた記憶もある。50年どころか60年、いやもっと昔しのことだ。
 
 今の子供たちはこの坂の名前も、こんな坂で昔しは子供たちが橇遊びをしたことも知らない。きっと彼らは坂の名前を誰からも教えられぬままに年を取ってしまうだろう。
 
 本日はこの辺で。

 
コメント
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