入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     24年「冬」(9)

2024年01月11日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 曇天。それでも家の外へ出てみたら最低雲高は高く、経ヶ岳に雲はなくよく見えていた。里に暮らせば天気のことなどどうでもよくなり、それでも能登半島沖で起きた地震の被災者、その救助活動に携わる人たちのことが気になり、となればウクライナ、パレスチナと、後期高齢者の牧守には手の届かない世界のことも頭の隅からしみ出てくるようだ。

 いつも似たようなことを意識して呟いてきた。聞かされる方も月並みであれば聞き飽きているに違いなく、きょうはいつもとは内容を変えてみたいと思う。
 
 昨年は友人、知人、親戚など10件以上の訃報が届いた。黙って手にするしかなかった時もあれば動転した時もありと、それぞれにそれぞれの思いを抱きつつその死を送った。
 終末医療を拒否して運命に委ねた彼、また、最後に交わした電話の相手は、自身が入院中であることさえ伝えぬまま逝くなど、様々だった。年齢的にも幅広く、90歳を超えた高齢者もいれば、後期高齢者の年齢に届かなかった友人もいた。
 
 そして、新しい年になってまたしても、である。彼は病院からわれわれに別れを告げに来て、弱った身体ながら「思い残すことはない」ときっぱりと言い切った。すでに達観していたと言ってもいい。
 他方、先述の自身が重篤な状態であることを知らせなかった友人にしたら、それを語ったとて詮無いと思ったのだろうか。毎夜9時間以上も寝て、好きなだけ酒を飲み、牛の尻を追いかけ山野を歩き回る者などに・・・、と。

 確かに、身体に特段の問題はない。血圧、尿酸値、肝臓にやや難があるが、何の不自由もない。平均寿命からはすでに10年を割ったらしいが、死に対する気持ちも若いころと大差なく、実感としては図々しくもまだまだ先のことのような気がしている。
 ただし、達観、観念などしてはいない。人生の喜怒哀楽はあり過ぎるくらいあるし、よく生と性を羽毛、煙のごとく軽く語る老人がいるが、こっちはそんなことはない。
 これからは、入笠のその日その時に加えて、その辺りの妄念、口ぶりの違いを、時には呟いてみたいと考えている。
 本日はこの辺で。
 

 
コメント
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