
天気予報によれば、きょうは雨らしい。早ければ昼前から降り出すようだし、夜は雪に変わる可能性もありそうだ。いや、外を覗いたらもう降り出した雨に、白い物が混ざっている。
こういう天気の日、カーテンを閉じたまま炬燵に入り、冬眠中のクマよろしく何もしないでじっとしていたくなる。きょう一日、何の予定もなく、また作る気もない。朝風呂は済ませたが、ついつい朝食を抜いた。
このままゆっくりと時間が経ってくれれば、それで一日が終わる。ただ、さすがに、それを待つためだけに息をしていてもいいのかと、どこかからそんな声に責められているような気もする。
先程、椋鳥の声が聞えていた。庭にリンゴを置いてやってあるから、それをつつきに来たのかも知れない。しかしすぐにどこかへ飛び去ったらしく、もうしない。今はストーブの燃える音だけだ。
冬の山の中で、一人で過ごしたこともそれなりにある。あの時はそうしているだけでも良かったと、当時を思い返して今は思うが、実際はどうであったかは分からない。
時間を持て余し、何でこんな所にいるのだろうとテントから顔を覗かせ、降りやまぬ雪を恨めしく思い、腹を立てたこともあったような気がする。そして「オレは本当に山が好きなのだろうか」と、よくそんな自問を繰り返したものだ。
冬山の夜は長い。少しでも荷物を軽減しなければと思いながらも、短波も聞ける小さなラジオを持っていったこともあるし、こうやって今PCに独り言ちているように、ノートにいろいろと書き残したこともある。
そうそう、雪山で快眠、安眠したことは一度もない。羽毛の半シュラフに入り、羽毛服を着て、さらに二重のシュラフカバーの中に入って寝ても、決まって夜半に目が覚め、そのまま朝まで震えっぱなしでいた。
ストーブを空焚きすることもできたのに、そういう発想がなかった。燃料は量を抑え、それだけに貴重だったのだろう。
山行についての記録は、残念なことに東京を引き上げる時にすべてをなくしてしまった。訪れた山のことや、あの極寒の夜の寒さのことばかりか、連れ合いがよく持たせてくれた豚ロースの味噌漬けの味についても、もう、読み返すことはできない。
本日はこの辺で、明日は沈黙します。