
昨夜は2時半ごろ目覚め、5時半まで約3時間も眠ることができなかった。それから眠りに落ちて目が覚めたらなんと9時半、合計すればやはり9時間以上眠ったことにはなるが、ここ何日かこんな変な眠り方をすることが多くなった。
上にいれば起き出して"一服盛り"、眠りに再突入するという手もあるが、しかし下では、隣の居間に行って暖かくなるまで寒さに耐えているのも面倒で、何回となく寝返りを繰り返しながら現と夢の間を朦朧として過ごし、昨夜もそうだった。
里での、旧年来ずっと気懸りだったことは昨日で全てが終わり、そのことは尾を引き、続くが、当面は特にすることがなくなった。これからは本格的な巣ごもりに入るべきだと思いつつ、昨夜も眠れぬままあんな山の中の、雪に埋もれた小屋のことが気になっていた。
今は見捨てられ、誰も気にする人などいない小屋、訪れようとする人もいないから、余計に心配する気持ちが強くなる。不思議な縁だと思う。もう、18年目に突入する。自分の小屋でなく、さりとて他人の物とも思えない小屋。
旅ということも考えなくはないが、こんな冬、炬燵の虜囚から脱け出すことは難しい。それにこの頃、もともと旅には向かない人間かも知れないとさえ思うようになってきた。面倒を嫌い、金もなく、よく工面して一人で、あんな遠くへ行ったものだと思う。やはり若かったということだろう。
心配性の親が、山へ行くことに反対しなかったのは、自分たちでは諦めていたことを、山が代わりになって鍛錬してくれていると思ったからかも知れない。重い荷物を背負い、嬉々として出掛けていくのを、半ば信じられずにいたに違いない。
玄界灘のあの島へ行くには、今の自分では遣唐使船の留学僧以上に困難に思え、またあの国へ行くにはパスポートを再発行してもらわなければならない。そしてその上、閉じた耳で横文字を聞き、応じなければならないだろう。
こんなことを言っているようでは、多分この冬も、これまでとあまり変わらずに過ぎていくだろうが、やんぬるかな、小人が閑居することを許す気持ちになってしまっている。
冬の日射し、日向ぼこ、そして独り言。本日はこの辺で。