
きょうから3月だというのにおかしな天気だ。昨夜から、水分をかなり含んだ重たい春の雪が降って、それが日の光を浴びて融け出したらしく、屋根を伝わるその音が雨音のように聞こえている。
里はそんなだが、遠くの山々は樹々に積もった雪がそのまま残り、見た目にも重そうだ。こうなると、週末予定していた入笠行は中止するしかないだろう。
どうも昨日の独り言、お茶を濁すような終わり方が気になっていた。確かに日本は、他の諸国と比べ、それほど酷い国ではないと思っている。この主張は変えない。
その上で、言外に言いたかったことは、あれから半世紀、どうも世の中がせせこましくなってはいないかということだった。そのように見える風景には、どうも国が、人が、中年太りしてしまい、覇気を失ってきたような気がするのだが、どうだろうか。
最近「シルバーデモクラシー」などという言葉を聞いた。政治的に若い人たちが不利益を被ってばかりいるような論であるが、ある程度はそうかも知れない。
しかし、ならば、小利口に語る頭のいい人ばかりに任せず、もっと主張したらどうだろう。そのために、若者の選挙の投票率だって上げるべきではないか。
角材を持って機動隊と渡り合えなどと時代錯誤なことを言ったりはしないが、ただ、「小市民的」などという言葉が、かつては否定的に語られた時代があったことは知っておいてもらいたい。
それと、若者に被害者意識を持たせたいのか、国の膨大な借金を若い人たちに押し付けるというが、あれは政治的にためにする狙いもあって、実際には次の世代に残す物、受け継ぐ文化だって相当あるはずだと思うが、違うだろうか。
地震の被害を報じるには、倒壊した建物を見せなければならない。これは分かる。同様に、政治に無関心な若者のことを報じるには、そういう若者に登場してもらわなければならない。
しかし、今の首相の名前を問われて言いよどんだりする者が、果たして彼らを代表しているだろうか。そうではないと思っている。
先程の地震の例ではないが、報道する側はその目的に合致するように仕向け、編集し、報道する。真実よりも、面白ければいいといった場合もあり、それがあたかも世相を反映しているかのように見えてしまうことがありはしまいか。
もう止めるが最後に一言、安楽死、これができるような時代が来ることを提案しておきたい。
本日はこの辺で。