
花の数が増えた
何か一段落すると、よく一服したものだ。それが今はつい風呂に入りたくなるから困ったことだと自分でも感じている。
風呂の浮力に馴染むと、そのうちに湯から出た後に外の重力が負担になりはしないかと馬鹿なことを案ずる始末だ。多分、以前に読んだ本の影響だと思う。大富豪が晩年、地球に戻ることを断念した上で、宇宙空間の重力の低い個人の居住施設で負担の少ない暮らしをするという話だった。
まだ科学技術はそこまで行っていないし、こっちは大富豪どころか清貧に励む身、楽ばかりしていては身体が衰え頭がボケるという程度の心配が、とんでもない杞憂に発展してしまったものだ。
山で生活するようになればこんな自由はできないし、風呂に入るのも自粛することになる。そろそろ、この習慣を改めねばと考えていて、要らざる妄想が湧いてきたということだろう。
それにしても寒さは依然として続く。今朝も外に出てみれば庭に白い物が薄っすらと残っていて、外気温は零下だった。下がこんなでは、上の状況が想像できる。当然ながら降雪量は下より多かったはずだ。
昨年は、3月に14,27日と上に行き、4月には仕事を始める20日の前に2日と17日、除雪と撮影の打ち合わせを兼ねて行っている。確か3月14日はド日陰の手前から車を捨て歩きになったが、その後は車で何とか上がれた。
しかし、今年はそうはいかない。それどころか、最悪の場合はスノーシューズかスキーが必要になるかもと、そこまで考えている。
NMさん、半世紀以上も昔の牧場の様子、当時の天体観測のこと、大変に興味深く拝読いたしました。ありがとうございました。恐らくバイクに乗っていた管理人は、前々任者かもっと古い人だと思います。
牧場のキャンプ場へ来てくれる人たちの中には20年、30年という人や団体はいますが、さすがにNMさんのように半世紀以上も古い時代を知る人はいないと思います。また、あのころは、電気が通っておらず発電機だったとは驚きでした。
それに、管理棟やキャンプ場も現在の場所ではなかったのではないでしょうか。伊那側からの林道は未舗装ながら通っていたと思いますし、不定期化だったかも知れませんが、バスもひと頃走ってもいたようです。
さらに期待してます。またそのころの写真も拝見出来たら幸甚です。取り急ぎお礼まで、ご無礼します。
本日はこの辺で。